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第69回カンヌ国際映画祭を振り返って

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第69回カンヌ国際映画祭を振り返って

2回目のパルム・ドールを受賞したケン・ローチについて、いろいろと取りざたされているようだ。けれど、彼が受賞者の会見の最後に付け加えたひと言を伝えている人は、今のところ私は目にしていない。

「We must say another world is possible and necessary (もう一つの世界は可能だし、必要なのだと我々は言わなければならない)」

この場合の「We」 は、「映画は」と置き換えてもいいのだと思う。監督たちは、カンヌ映画祭に集まった映画人たちは、映画という言葉を使って人々に訴えかけることを仕事にしているのだから。

ロ―チは公式上映後(受賞後ではない)の記者会見で『I, Daniel Blake』についてこんなことを言っていた。「ヨーロッパ中に不寛容さが蔓延している。貧困は自己責任だという風潮を始め、保守的で、冷酷になっていると思う」。

実直に生きてきた”普通の人”がホームレスすれすれに転落するような羽目になる。それは今の世の中、どこの国の人にも可能性がある。これが今年のカンヌのひとつのテーマ、だったのではないか。

今年のカンヌ・長編コンペでは、今まで貧困層の若者や子どもらを主人公にしてきた社会派の監督が、ロ―チの描くダニエルのような”普通の人”もしくは中間層の人々を主人公に据えた作品が目についた。

彼らは教育を受け、社会的にある程度の地位と収入を確保して、貧困層とは違う生活をしている。ところがたった一つの事件が彼らの地位も希望も未来も、そして依って立ってきた価値観すら脅かすことになるのだ。その時、主人公たちはどんな行動に出るのか。その、人としての倫理や責任、闘いを描く、のである。

社会派の監督たちの作品を見て私は素直に感動し、自分ならばどうする、とか自分に何ができるか、と考えてきた。それは私が恵まれた立場にいて、何かを「してあげることができる」と思う暮らしをしているからだと思う。

映画を見られる時間とカネがある。しかも、現実逃避のための娯楽として何も考えないで済む作品ではない映画を見るという選択をする余裕があるのである。逆に言えば、そういう人たちしか、「現実の酷薄さをリアルに描き問題提起する社会派作品など見ない」のだ。そしてその映画の主人公たちは、映画を見ている人たちよりも貧しく教育も受けられず愛にも恵まれていない。見ている人たちは自分にはこんなことは起きないと安心して見てこられたのである。

しかし、もう、世界はそんなラインを越えてしまった。たった一つの、予測しえない事件が、偶然が、病気や事故やセックスが、あなたを安定した生活から引きずり落とすかもしれない、のだ。

危機は中間層にまで迫っている。それを見せるためにロ―チは仕事も家も家族も持っているダニエルを主人公にしたのだ。他にも、例えばダルデンヌ監督兄弟は若く将来を嘱望される女医をヒロインとし、ムンギウ監督は医師とケンブリッジ大学へ留学する予定のその娘を主人公とし、ファルハーディー監督は教師も務める舞台俳優の若い夫婦を主人公にし、ブラジルの監督は突然家を奪われそうになるヒロインを引退した音楽評論家と設定した。

ロ―チが言った「もう一つの世界」を実現しようと、その必要性を理解し、可能性を信じて行動に移せるのは中間層の人々のはずである。彼らを動かすために、彼らのこととして危機を描いて見せたのが今年のカンヌのひとつの作品群であった。

今年の審査結果は、評論家やジャーナリストの予想と甚だしく異なり、激しいブーイングを浴びたので、審査結果がカンヌの総意であると言い切ることには躊躇する。しかし、パルム・ドールにロ―チ、監督賞にムンギウ、脚本賞にファルハーディーという選択は、少なくとも一貫した想いを感じる。

審査員は今年の作品の中から賞を振り分けなくてはいけない。監督の作品を追ってほぼ見ていたり、その国の映画を丁寧に見込んでいたりする評論家にとっては、今年出品された作品が必ずしもその監督のベストではないかもしれないし、その国の映画としても語るべきものでないかもしれない。だからと言って、賞に値しないと言い切ることはできないと思う。まぁ今年の場合、それ以外の理由で、私も大変に納得しえないところがあるのだが。

今年は昨年にも増して、また9.11後の年にも増して、警備の厳しいカンヌ映画祭だった。クロワゼット大通りをTシャツ短パンで歩く観光客に交じって、迷彩服姿の兵士が小銃を前に抱えてパトロールする姿は非常事態を思い出させる光景であった。パリで同時多発襲撃事件が起こったのは半年前、ブリュッセルで空港と駅の襲撃事件があったのは2か月前のこと。各地で起こっている紛争は出口を見いだせず、そこを逃げ出した人々は難民としてヨーロッパ各地に分散している。彼らに対する風当たりは強く、社会の非寛容化を象徴している。

そんな今年、である。

映画自体だけ、作家性だけを純粋に評価するのではなく、世界や社会の動きを物語に映す作品を評価したくなるのは、私は理解できる。映画は時代を反映するものであるし、見る人に何かを訴えたいものだと思うからだ。

その点で、少なくともロ―チのパルム・ドールは、とてもうれしい、のである。【文/まつかわゆま】

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