村山聖は「一生懸命とは何かを教えてくれた人」『聖の青春』原作者・大崎善生&森義隆監督が魅力語る
29歳の若さで亡くなった伝説の棋士・村山聖の実話をもとに描く映画『聖の青春』が、いよいよ11月19日(土)より公開となる。森義隆監督は「村山に惚れた人を集めた。みんなが村山の生き様に魅了されていた」と告白。村山役の松山ケンイチが、大幅な増量をするなど壮絶な役作りに挑んだことも話題となっているが、村山の熱い生き様こそ、映画作り全体のモチベーションになったと言うのだ。一体、村山の生き様が今なお、私たちの心をつかんで離さないのはなぜなのか?森監督と、原作者の大崎善生に話を聞いた。
原作は、専門誌「将棋世界」の編集長時代に村山と交流のあった大崎が綴ったノンフィクション小説。幼少期より難病・ネフローゼを患い、名人への夢半ばで倒れた村山の一生を、師弟愛、家族愛、友情を通して描く傑作だ。映画では、村山の最期の4年にフォーカス。森監督はその意図をこう語る。
「僕が映画化の話をお引き受けした時が、ちょうど29歳。29歳で亡くなる無念というのはどんなものだったんだろうと、自分自身を投影して考えていった時に、残りが少ないと自覚した上で、彼が何にもがき、何を見つけていったのかを描きたいと思ったんです」。
生前の村山を知る大崎は、「素晴らしかった。何気ないところが村山くんとよく似ているんです」と松山の演技に舌を巻く。「村山くんは、すごくかわいいんです。そして何を言っても、何をやってもユーモラス。偉そうなことを言う時には、ちょっと鼻が上向いたりしてね(笑)。松山さんの演技には、そのユーモラスさがすごく出ていた。座っているだけで、なんかいいんですよ」。村山を思い出して、思わず笑みがこぼれる。
自主的に原作を読んでいて、映画化の話が持ち上がった時にはまっさきに名乗り出たというほど、村山に惚れ込んでいた松山。彼も、撮影当時は30歳。村山の亡くなった年齢と重なる。森監督は「彼も『29歳で死ぬ』ということを、彼なりに解釈して演じていました。村山さんの体を借りて、松山ケンイチがどう死んでいくのかを、僕も見つめた気がしています」と“死に様”についてお互いに熟考したと話す。
松山の役作りの糧となったのが、生前の村山と交流のあった人々の存在だ。「大崎さんも、村山さんの師匠の森(信雄)先生も、現場を見学に来てくださって。実際にお付き合いのあった方々が来てくれたことが、松山くんの背中をすごく押してくれたと思います。本人を知っている人の目の前で芝居をするなんて緊張する状況だとは思うんですが、大崎さんも『村山がいる!』なんて言ってくれたりして。そうやって声をかけていただくことで、役作りが完成していったと思います」。
劇中で松山がつけているネクタイは村山の遺品。羽生役の東出がかけているメガネも、羽生本人から譲り受けたものだ。また大崎が「将棋連盟でも一番いい盤を、映画のために出している」と話すように、誰もが「村山のためなら」と本作への協力を惜しまなかったとか。
映画完成にはあらゆる人々の村山への愛が欠かせなかったことがよくわかるが、森監督は「みんな村山さんの生き様に魅了されていた。大崎さんが小説を書かれたこともそうだし、死してなお、村山さんは人を動かしている。周囲にいた方達にお話を聞くと、すごく村山さんは愛されていて、かつ、彼に振り回されていて。映画を撮った僕らも今まさに、彼を愛していて、振り回されている」と村山が影響を与え続けていると語る。
一体、私たちがこんなにも彼に惹かれてしまうのはなぜなのか?大崎は「『一生懸命とはこういうことなんだ』と教えてくれた人」としみじみ。ひとつのことを一生懸命にやるというのはみんなそうなんだけれど、村山くんの場合、その質が違うというか。時間の短さを確信していたので、人が40〜50年かけてやることを、自分は10年でやらなければいけないと本気で思っていたんだなと。亡くなって、今になってから彼の本気の思いを感じています」。
誰もが有限の時間を生きている。村山聖の純粋で熱い生き様は、そのなかで自分は何に出会い、何に打ち込むのかとまっすぐに突きつけてくれるようだ。ぜひスクリーンで心震わせてほしい。【取材・文/成田おり枝】