東京の人:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
東京の人
東京の人
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東京の人

1956年4月4日公開、126分
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北海道新聞、中部日本新聞、西日本新聞連載の川端康成の小説を「乳房よ永遠なれ」の田中澄江が寺田信義、西川克巳と共同で脚色し「赤ちゃん特急」の西川克巳が監督、「ビルマの竪琴(1956)」の横山実が撮影を担当した。主なる出演者は「丹下左膳(1956)」の月丘夢路、「神阪四郎の犯罪」の左幸子、滝沢修、新珠三千代、「死の十字路」の芦川いづみ、「ただひとりの人」の葉山良二など。

ストーリー

島木俊三は出版事業建直しの金策に失敗して東京に帰って来た。俊三の家には、朝子、清の二人の子を持つ未亡人で、宝石販売員の白井敬子がいた。戦後、妻を失い一人娘の弓子を男手一つで育てて来た俊三と敬子は結ばれていた。朝子は新劇の女優で、同僚の小山の子を宿したが、小山の言葉で中絶の手術を受けた。本当は母親になりたかったのだが。俊三の会社に働く小林みね子も俊三を愛していた。彼女は意欲的な俊三に憧れ、会社の倒産を前に俊三に近づいて来たのである。敬子は俊三の娘の弓子を実の娘よりも可愛がっていた。俊三はある日、会社の金を持ち出して失踪した。またある日、敬子は新興成金の田部に宝石を販売しに行く。田部の弟の昭男は青年医師で、かつて弓子の盲腸手術に立ち会ったことがあった。昭男を知り、俊三を失った敬子は彼にひかれた。昭男もまた敬子の虜となった。清はいつか弓子を恋するようになったが、弓子は昭男を慕っていた。共同募金のため銀座に立っていた弓子は連れだって歩く敬子と昭男を見て心痛のあまり家出をしてしまった。清もまた母に対して批判的であった。昭男と敬子の間を気づかった田部は弓子と昭男の縁談を持って来た。敬子は女の宿命に泣きながら昭男の子をおろした。やがて清が上野公園の近くにいた俊三を見つける。民生局一時保健所に預けられた俊三を、友人の家に泊っていた弓子が訪ねるが、父娘の間には何か遠いへだたりが出来ていた。弓子が敬子、清の清の三人で再度一時保健所を訪れるも、俊三はみね子と一緒に去ってしまっていた。彼は一通の別れの手紙をベッドの上に残し、何んに希望をたくすことなく、みね子と共に船で旅立っていった…。

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作品データ

原題
Family of Sorrow
製作年
1956年
製作国
日本
配給
日活
初公開日
1956年4月4日
上映時間
126分
製作会社
日活


[c]キネマ旬報社