浅太郎鴉:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
浅太郎鴉
浅太郎鴉
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浅太郎鴉

1956年3月28日公開、86分
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「旗本退屈男 謎の決闘状」の比佐芳武の脚本を「かんかん虫は唄う」の三隅研次が監督し、「又四郎喧嘩旅」の武田千吉郎が撮影を担当した。主な出演者は「柳生連也斎 秘伝月影抄」の市川雷蔵、黒川弥太郎、「刑事部屋」の瑳峨三智子、浜世津子、「オテナの塔 (前篇)」「オテナの塔 (後篇)」の水戸光子、「暗黒街」の杉山昌三九など。

ストーリー

親分忠治の命令で、二足わらじの博徒百々村の紋次を殺した板割浅太郎は旅に出た。浅太郎には十手を預る伯父勘介があり、勘介の子で浅太郎にはいとこに当る徳二郎はイカサマ賭博に身を持ち崩し、一子勘太郎を残して行方不明であった。以前忠治が世話をしたことのある親分土手の喜太郎を尋ねて松代の宿場に入った浅太郎は、喜太郎の子分につきまとわれる百姓娘おみよを救った。喜太郎の家に着いた浅太郎は、徳二郎が、近く須坂の山寺で開かれる賭場に現われることを知った。当日、徳二郎に会った浅太郎は帰郷をすすめたが、徳二郎は十日後の再会を約して去って行った。だが、帰郷の金を作るため喜太郎と共謀でイカサマ賭博をやった徳二郎は、もうけを独占しようとする喜太郎一味に殺された。怒った浅太郎は喜太郎を斬ったが、自分も傷を負い、山中に逃れて気を失った。その浅太郎を助けたのは、折よく通りかかったおみよであった。浅太郎の傷がいえるころ、忠治が赤城山に立篭ったという報せが入った。浅太郎は後を慕うおみよと涙の別れをして赤城山に向った。だが浅太郎を迎えた忠治の態度は冷かった。かねて見知りの勘介が自分を召捕ろうとしたというのである。決心した浅太郎は山を下り勘介の家に向った。勘介は浅太郎の用向を察し、孫の勘太郎を浅太郎に托して自殺した。山に帰った浅太郎は忠治の前に勘介の髪を出し、勘太郎のためにやくざの足を洗いたいといった。忠治は金を与えて浅太郎を下山させた。勘太郎を背に山を下りた浅太郎の前に、彼の後を追って来たおみよの明るい笑顔があった。

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作品データ

製作年
1956年
製作国
日本
初公開日
1956年3月28日
上映時間
86分
製作会社
大映京都


[c]キネマ旬報社