流れる星は生きている:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
流れる星は生きている
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流れる星は生きている

1949年9月18日公開、84分
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日比谷出版社発行記録文学「流れる星は生きている」藤原てい子の原作を「彼女は答える」の館岡謙之助が脚色、「どぶろくの辰(1949)」の根岸省三が企画、「母三人(1949)」についで小石栄一がメガフォンをとり、キャメラは姫田真佐久の担当。出演は「母紅梅」「母三人(1949)」につぐ三益愛子、「美貌の顔役」につぐ三条美紀、のほか「どぶろくの辰(1949)」の羽島敏子、徳川夢声、新人大野守保がデヴューする。

ストーリー

たたきつけるような豪雨の中を赤土のどろ道を、ひきずるような重い足で進む引揚者の列、けい子は光子を背負い、二週間分の食糧を首から下げて、正一と次郎の手をひいて進む。疲れて泣き叫ぶ子供達をしかりつけながら、けい子は男のような気丈さで進んだ。どんなことがあっても生きていなければいけない。夫を残していつ会えるとも知れないが、再び家族が相会うまでは、お互いにどんなことをしてでも生きていなければならないのだ。徳山は気狂いを粧って、女子供と引揚げてきて途中も抜目なく金もうけのことばかり考えている。けい子は夫の友人の恋人節子に助けられながら、無事内地の土を踏むことが出来た。まずけい子は叔母の家一つを頼りにやってきたが、その夜は運悪く婚礼の日で、肝心の叔母は案外冷たかった。途方にくれたけい子親子は交番の巡査に助けられてその一晩は交番で過し、結局引揚寮で節子と共に生活することになった。引揚途中で子供を亡くした幸枝は、キャバレーで働きながら怪しげな生活をしてアパートに移っていった。節子も同じキャバレーで歌手として働き、けい子も近所の山本製本所で働くようになった。製本所の主人は非常に目をかけてくれて、次郎を引取って育てたいと申し出た。けい子も始は迷ったが、その方が次郎の為にもよいと思うようになったが正一は喜ばなかった。ある日のこと、ほぼ次郎の話が決った時、正一は働いている靴みがき先から、こっそり帰ってきて次郎をつれたまま、居なくなってしまった。けい子も始て心うたれる思いがした。どんなことがあっても夫が帰ってくるまでは、石にかじりついても、自分の力で三人の子供を育てる決心をした。正一と次郎は間もなく見つかり、親子は水いらずで、また生活が始った。ある時元気だった次郎が急に発熱してジフテリヤの兆候が現れたが、貯のない生活で、おまけに引揚寮ときいては応診にきてくれる医者はなかった。やっと作った現金百五十円と夫から最後に別れるとき渡された時計をもって、次郎を抱えたまま外に走り出た。大切な時計だが、次郎の命には代えられない。夫はきっと次郎の命を助けてくれるに違いない。何軒目かの桜井医院で、次郎はやっと診察をうけることが出来た。しかも医師の厚意で、現金はわずか百五十円しか受取らない。けい子は夫の時計を出したが医師はそれも受取らなかった。医師の厚意で次郎は一命をとりとめることが出来たのだ。その次郎を抱いて寮まで帰ってくると受附にたっている復員の後姿、それは節子の恋人津川であり、津川の口から夫は元気で遅れて帰ってくるという伝言だった。--親子五人再会の日も間近いのだ--けい子も子供の顔も明るかった。

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作品データ

製作年
1949年
製作国
日本
配給
大映
初公開日
1949年9月18日
上映時間
84分
製作会社
大映東京


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