塚本晋也
タムライットウヘイ
大岡昇平の同名戦争文学を「六月の蛇」の塚本晋也が監督兼主演で映画化。第二次世界大戦末期のフィリピンを舞台に、肺病を病んで部隊を追い出され一人彷徨う兵士の姿を描く。共演は「そして父になる」のリリー・フランキー、「蘇りの血」の中村達也、オーディションで選ばれた新人・森優作、「ギリギリの女たち」の中村優子、「童貞放浪記」の山本浩司。
※結末の記載を含むものもあります。
第2次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島。日本軍の敗戦が色濃くなった中、田村一等兵(塚本晋也)は結核を患い、部隊を追い出されて野戦病院行きを余儀なくされる。だが負傷兵だらけで食料も困窮、少ない食料しか持ち合わせていない田村は早々に追い出され、再び戻った部隊からも入隊を拒否される。行き場を失い、果てしない原野を一人彷徨う田村。空腹と孤独、そして容赦なく照りつける太陽の熱さと戦いながら彼が目撃したものは、想像を絶する地獄絵図であった……。
監督、製作、脚本、撮影、編集
原作
撮影、助監督
サウンドエフェクト、サウンドミックス
スチール
制作
制作
衣裳
美術造形
特殊造形
特殊造形
特殊造形
進行
音楽
考証
フィリピンロケ
現場協力
セット
操演
大道具、特殊効果
大道具、特殊効果
大道具、特殊効果
特殊効果
道具制作
道具制作
映像処理
銃器制作
銃器制作
銃器制作
[c]SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER [c]キネマ旬報社
大岡昇平作の『野火』(1951年)は戦争小説の傑作のみならず、日本文学における一つの金字塔ともいわれている。市川崑監督によって映画化もされ(1959年)、これも秀作だった。それから55年を経て、塚本晋也監督は何を描こうとしたのか。しかしその結果は惨めなものだったといわざるを得ない。
監督自身がチラシに書いているように、なにより「お金がありませんでした」が、この映画を作る致命的な欠陥だった。借用できたロケ地が狭く、全てが同じ場所で撮影されたようだ。兵隊たちの移動距離が実感できず、従って時間の経過も読めない。その埋め合わせか、兵士たちのクローズアップばかりが、感情的に、執拗に強調される。
何でこんなことを言うのかと言えば、『野火』で重要なのは移動だからである。敗残兵たちが無統制まま移動する群像を遠方から捉える冷徹なリアリズム的シーンと、長い距離を歩く間に語られる田村一等兵の「独白」が、物語に思想的な厚みを加え、それが大岡文学たらしめる。監督は自身が出演する田村一等兵に職業は「物書き」だと言わせているが、彼はおよそ知識人らしく見えない。
それがないから、本映画のテーマは人肉を「食うか食わぬか」といったフェチシズム的な興味に駆り立ててしまう。哲学小説の卑近化、陳腐化だ。戦争の痛みを知らない「若い人をはじめ……多くの人に見てもらい」と書かれてるように、多分に「啓蒙」を意識して作った作品のようだが、おどろおどろしく、判りやすく撮れば良いというものではないだろう。
戦闘場面も変だった。38銃は立派すぎるし、音と火花だけで表わされる米軍の機関銃だって、あの当時はあれほどの速射が出来たはずはない。アフガン戦争の映画から失敬してきたようなお手軽な音ではないか。
監督には申し訳ないことだが、『野火』をきちんと撮るにはそれ相当に金がかかる。戦争は『野火』だけではない。資金的な貧しさが前面に出でてしまうあのように貧しい画像ではなく、他の斬新な視点からの「戦争」作品に取り組んでもらいたかった。