『アングスト/不安』は、トラウマ級のプリミティブな衝撃をもたらす、異端のサイコ・スリラーだ
1983年にオーストリアで製作された『アングスト/不安』は、1980年1月に同国で発生した一家惨殺事件をベースとした実録スリラーだ。物語はこのうえなくシンプル。刑務所を出所した主人公の青年が殺人衝動を満たすために街をうろつき、ある屋敷に忍び込んで凶行を犯す様が描かれていく。
あまりにも凶暴かつ陰惨な内容ゆえに初公開時の評判は散々で、ジェラルド・カーグル監督は「とても批判的で、軽蔑の対象と見なされた」と当時を振り返っている。そして本作は当然のように映画史の闇に葬られ、日本では『鮮血と絶叫のメロディ/引き裂かれた夜』という題名でひっそりとビデオ・リリースされるにとどまった。
そんな世間に黙殺された37年前の映画が、なぜ2020年の日本で初めて劇場公開されることになったのか。その直接の理由は定かではないが、『アングスト/不安』は一部のファンや批評家の間で再評価されてきた。おそらくそれは1990年代にサイコスリラーの世界的なブームが巻き起こり、このジャンルへの理解や興味が深まったことが大きい。1988年のオランダ=フランス合作映画『ザ・バニシング-消失-』も、同じように再評価され、昨年日本で初公開が実現した。
『アングスト/不安』の最大の特徴は、全編にモノローグをフィーチャーし、殺人衝動を抑えられずにもがき苦しむシリアルキラーの内面を生々しく探求していることだ。しかし、単なる心理分析映画ではない。常人にはまったく理解しがたい主人公の行動が、冷徹なまでに即物的なタッチで描写され、もはやそれ自体が比類なき異常なレベルに達しているのだ。しかも、一見すると全編が行き当たりばったりで撮られたかのように荒々しい映像世界は、よくよく目を凝らすと細部まで入念な演出が施されている。とても人間が撮影したとは思えない不自然な視点のカメラワークに至ってはシュールであり、先鋭的な芸術性すら感じさせる。
とはいえ、テーマ&ビジュアルの両面において、とてつもなく危険なこの映画が“取扱注意”であることは疑いようがない。本作には『羊たちの沈黙』(93)の主人公クラリスのように観客が感情移入できるキャラクターはひとりも登場しないし、『セブン』(95)のようにスタイリッシュな美学もない。あえて類似タイトルを挙げるなら『悪魔のいけにえ』(74)、『ヘンリー』(86)がそうであったように、娯楽映画やジャンルの枠に収まらないトラウマ級のプリミティブな衝撃をもたらす異端のサイコ・スリラーなのだ。
はてしなく理不尽な狂気と暴力が渦巻く本作を、無難にスルーするか、おそるおそるそのカオスに飛び込むかはあなた次第。好奇心に駆られて後者を選んだ人には、一生忘れようのない映画体験になることは間違いない。
文/高橋諭治