スティーヴィー・ワンダー、ジャクソン5、マーヴィン・ゲイらを生んだ超名門レーベル“モータウン”とは?
誰もが一度は耳にしたことがあるような大ヒット曲を数多く生みだしてきたレコードレーベル、モータウン。このレーベルがどのようにしてヒットを連発してきたのか?そのノウハウをひも解きながら、1970年代までの歴史をなぞっていくドキュメンタリー映画『メイキング・オブ・モータウン』が公開中だ。”モータウン”って言葉を聞いたことはあるけど…という人も多いと思うので、ここで初心者に向けた基礎的な情報を紹介していきたい。
伝説のブラックミュージックレーベルは、小さな一軒家から始まった
“モータウン”とは、アフリカ系アメリカ人のベリー・ゴーディ・ジュニアにより、1959年にアメリカのデトロイトに創立されたブラックミュージック主体のレコードレーベルのこと。創設者のゴーディはこのレーベルを設立する前に、ソウルのパイオニアの一人とされるジャッキー・ウィルソンなど地元のアーティストの曲を手がけヒットへと導いたが、黒人ということからの差別もあり印税はごくわずか。この状況を変えるため、自分のレコードレーベル、モータウンを立ち上げる。
家族から借金をし資金を作ったゴーディはデトロイトの一軒家を買い取ると、そこを改造。録音スタジオや事務所、自宅までを兼ねた通称“ヒッツヴィルUSA”を本社とし活動を開始していく(1972年にLAに本社を移すまで)。最初のアーティストとしてザ・マタドールズ(のちのザ・ミラクルズ)と契約し、ミラクルズのスモーキー・ロビンソンは副社長としてゴーディと共にレーベルを盛り立てていった。
人種や性別に捉われない!先進的な姿勢とシステム
モータウンという言葉は、自動車産業で栄えたデトロイトの通称である“モータータウン”を略したもの。ゴーディは過去にゼネラルモーターズの組み立てラインで働いていた経験があり、映画でも描かれているようにスターを生みだすノウハウも車の組み立てラインを参考にしている。作曲、ダンスの振り付け、エチケットマナーなどアーティストの育成をセクション別に分けて徹底的な管理を行なっていた。
さらにプロデュースされた曲は、リリースするかを判断する会議にかけることで品質を担保。その場に参加する人物は人種や性別、年齢などはいっさい関係なく、誰もが発言可能だった。モータウンには女性の役職者もおり、黒人と白人は平等。差別が当たり前のように横行していた時代で、良いものを生みだすために、本当に必要なものはなにかを理解していたのだ。
そんな彼らが作り上げた音楽は人種を問わず大いに支持されていき、その光景を目にしたキング牧師ことマーティン・ルーサー・キング・ジュニアも感銘を受けたとか。そんな彼の演説をモータウンはレコードにしてリリースしたこともあるのだ。
S・ワンダー、ジャクソン5、マーヴィン・ゲイ…モータウンが見いだした偉大なスターたち
そんな革新性を持ち、白人が主体だったポップチャートにも食い込むようなヒット作を連発していったモータウン。所属したアーティストたちの豪華さといったらすさまじく、11歳でモータウンと契約をしたスティーヴィー・ワンダーやテンプテーションズにジャクソン5。さらにはフォー・トップス、少し時代が後ろになるがライオネル・リッチーなど誰もが知るようなアーティストばかりなのだ。
また映画では、例えばマーヴィン・ゲイの「I Heard It Through the Grapevine」や、ダイアナ・ロスがかつて所属したスプリームスの飛躍のきっかけとなった「Where Did Our Love Go」などに関する裏側が語られていく。モータウンのことをよく知らなくても、劇中で流れる著名アーティストたちの名曲は耳にすれば、それだけでモータウンの偉大さが分かることだろう。
文/トライワークス