自分のためだったとしても、渾身の力で拳を振るう姿は人の心を揺さぶる
1年書き溜めた悔しみノートは、「負け犬の遠吠え」と銘打たれて出版され、世に出て行った。「こんなことをしてなにになる?」という内なる声はまだ聞こえる。しかし、弱くてダメな自分を散々さらけだしたおかげで、自分でもようやく見慣れた。こんなに恥ずかしい姿ではどこへも行けないという思い込みから解放され、まあどこかしらにたどり着けるだろうという気楽さのもと、結局手放せなかった創作への執念を握りしめて進んでいく決意が出来た。それだけで充分だ。
しかし意外なことに、身の丈に合わない嫉妬やプライドに悶えた私の情けない絶叫に、共感したという感想が多く届けられた。世の中には、案外負け犬が多いらしい。みんな、惨めな自分をひた隠し、陰でくすぶる火種を必死に踏み消そうとしている。たくさんの人が、かつて逃げるように諦めた夢を教えてくれた。閉じ込めていた思いを打ち明けてくれた。
「私も自分自身と向き合って、ケリをつけようという決心がつきました」悔しみノートを書いてくれてありがとう、という言葉まで添えて届けてくれた感想に、私はボロボロと泣いてしまった。
自分のために拳を振るうのは、情けないことだと思っていた。出来ることなら人の役に立ちたいではないか。劇中でも、ボクシングへの思いを捨てきれない晃に、別居中の妻、佳子(水川あさみ)が「自分のことばっかり」と非難を浴びせていたが、まったくその通りだ。いい年こいて、まだ自分のことにこだわっている。それでも、情けなくても、なににもならなくても、自分に出来ることはこれしかないとノートを書き続けてきた。100%自分のためでしかないその記録が、誰かの励みになるだなんて、そんなうまい話があっていいんだろうか。
しかし、勝機も無いのにみっともなく這い上がろうとするかませ犬たちの姿を見て、“うまい話”はあっていいんだと納得した。たとえ自分のためだって、その身をさらして何度も立ち上がり、渾身の力で拳を振るい闘う姿は、文句なしで人の心を揺さぶる。勝つことよりも負けないことにこそ、捨ててはいけないプライドが宿っていることを思いださせる。
いいじゃないか、無様で。
劇中の情けない男たちに、「どうしようもねぇな」と吐きかけた唾も、「負けんじゃねぇよ」と飛ばした檄も、すべて自分に跳ね返って突き刺さる。こんな映画が制作された事実が、自分のやってきたことは決して間違いではなかったと確信させてくれた。
きっとこの世の多くの“隠れかませ犬”たちがこの映画によって引きずりだされ、踏み消したはずの火種にしっかり火を吹きおこされることになるだろう。楽しみだなあ、みんな苦しめばいいんだ。
一つ安心してほしいのは、苦しむのも案外悪くないということだ。おかげさまで私は、今後とも遠慮なく無様に生きて行こうと思っている。
文/梨うまい