北村匠海と小松菜奈が『さくら』号泣シーンの舞台裏を語る「泣きすぎて、顔が動かなくなってしまうシーンもありました」
「世界的にもいろんなことが起きていくなかで、それでも前に進んでいかないといけない」(小松)
感受性が激しくエキセントリックな一面を持つ美貴は、兄の一に対しては、ブラザーコンプレックスを超える強い愛情を抱いていて、一の彼女に対しても強いジェラシーを抱く。長谷川家の家族構成と同じく、2人の兄を持つ小松は美貴役について「100%わからない感情ではない部分もありました」と言う。
「私も美貴ほどではないですが、お兄ちゃんが初めて彼女を家に連れてきた時、いままで見たことがないお兄ちゃんの表情や行動を見て、戸惑ったことがありました。家に知らない誰かが来て、しかもお兄ちゃんがその人を好きだという気持ちも伝わってきたので、妹にしてみたらちょっと複雑な感じがしたんです」と言う小松の発言に、北村は「へえ。そういうことってあるんだね」と興味津々の様子。
小松は「ただ、美貴の愛は狂気的だとも思ったので、得体の知れない子に見えてもいいのかなと考えつつ、そういう存在として、家族をかき乱していければいいのかなとも思いました。正直、自分でもよくわからなかった部分もありましたが、逆に演じてみて、発見できる点もたくさんあった気がします」。
過酷な運命に翻弄される長谷川家だが、「神様は打たれへんボールは投げへん」という母の言葉が、心に刺さる。薫はそれを「神様が投げる悪送球」と表現していた。
北村も「この台詞を聞くと、神様は本当に困難をぶち当ててくるなと、思ってしまいます。僕ももちろんそういう経験はありますし、今年はきっと皆がそう思っているんじゃないかなと」と、折しもコロナ禍ということで、この台詞は一層、響いたようだ。
北村は「嘘でしょ⁉と思うことも実際に起きるのが、人生なんだなと。僕自身は、それらを乗り越えようとしてふんばってきたというよりは、結果的に乗り越えてきたのかなと思えたことのほうが多かったです。だから、なにがあっても生きてさえいれば、と言う気持ちが大切なのかなと。僕は、そこから逃げた一はズルいなと思う反面、どうしようもなかったんだろうなとも思ってしまいました」と、一の心情をおもんばかる。
劇中で、薫が一に対して辛く当たるシーンについては「薫として、一の顔が見れなかったです」と撮影を振り返った北村。「あんなにキラキラしていた一がすさんで自暴自棄になっている姿を、薫は見ていられなかったんだと思います。本当だったら、この家族はもっと幸せの方向に進めていたのかもしれないけど、そうじゃなかった。そういう弱さがちゃんと描かれている本作だからこそ、今年公開される意味は大いにあると思います」。
小松も、神様の悪送球について「試練ってそういうものだなと。でも、自分自身はもちろん、世界的にもいろんなことが起きていくなかで、それでも前に進んでいかないといけない」と、自分を戒める。
「それは本当に難しいことだけど、コロナ禍の状況も、少しずつ変化していってるなと感じています。例えば、マスクをすれば出かけられるし、透明なパネルを置けば、こうやって取材で話すこともできるようになりました。状況に合わせて、人の考えもどんどん変わっていきますよね。長谷川家も、いろんな困難な出来事が起きていくけど、肝っ玉母ちゃんみたいなつぼみさんがいたし、サクラという存在もすごく大きかった。辛くても前へ進んで行かなきゃいけないんだなと、改めて思いました」。
観終わったあと、しみじみと家族の絆をかみしめる本作は、コロナ禍において多くの方に観てほしい力強い作品だ。
取材・文/山崎伸子