SM、拘束、凌辱プレイ…“禁断の愛”が、観る者を抑圧から解放する!
白夜の街、ヘルシンキより生まれた美しい愛と再生の物語『ブレスレス』(公開中)。本作で描かれるのは、痛みを追い求める男と痛みを与えることでしか生きられない女が、SMによって互いの心に空いた穴を埋め合う姿だ。北欧フィンランドの気鋭監督と名優たちにより、絶妙なバランスで映像化された禁断の世界を紹介したい。
SMに、死んだ妻の面影を見いだす男の物語
主人公は、十数年前に妻を湖の事故で亡くした外科医のユハ。自責の念から、毎日を無気力に過ごしてきた彼は、娘がピアスの穴を開けるために訪れた店に同行する。施術の間、店内を歩き回っていると併設するSMクラブに迷い込み、ボンテージ衣装に身を包んだ女性モナに客と間違われて首を締めつけられてしまう。
意識が遠のいていくなかで、目の前に浮かび上がったのは死ぬ直前の妻の姿。以来、ユハは妻の面影を見るために、モナのもとに通うようになる。彼の抑えられない感情は、仕事や私生活にも影響を及ぼし、エスカレートするふたりのプレイも危険度が増した行為へと発展していく。
フィンランドを代表する名優がSMプレイを熱演!
ユハ役には、『トム・オブ・フィンランド』(17)でゲイアートの先駆者であるフィンランドの国民的な芸術家の半生を演じたペッカ・ストラング。感受性が豊かで繊細な演技を持ち味とし、本作でも妻を亡くした喪失感を抱え、死の淵でのみ生きる糧を見いだす男という難役に挑んでいる。
女王様に命じられるがまま、服を脱ぎ捨て、四つん這いになって「私は悪い犬です」と言わされてしまうユハ。様々な辱めを受けるうちに抵抗感がなくなり、手足を拘束されて頭からビニール袋を被せられ、窒息する寸前まで追い込まれる拷問じみたプレイに堕ちていく。そんな彼の戸惑いや希望を、ストラングは目の動きやわずかなジェスチャーだけで表現し、その切実な思いを的確に観客に訴えかけている。
SM嬢のモナを演じるのは、フィンランドでもっとも名の知れた女優、クリスタ・コソネン。昼は整体師として働き、夜はボンテージ姿で男たちに痛みと快楽を与える複雑な役どころで、ユハとともに危険な愛の領域へと足を踏み入れることになる。
一歩間違えるとキワモノになりかねない題材なだけに、出演に対してコソネンはあまり乗り気ではなかったそうだが、劇中ではストラングとの鬼気迫るプレイを見事に熱演している。暗がりから姿を現す様は妖艶でどこか怖さもあり、尊大な雰囲気でユハを罵倒する。一方で、彼との出会いがモナの心に動揺を生むきっかけになるなど、多面性のあるキャラクターとしても表現している。
SMによって生まれる強い絆を描くこと
怪しく光るネオンやバキバキの電子音楽、研ぎ澄まされた映像美にも息をのむ本作。監督を務めたのは、『2人だけの世界』(14)で国際的にも高く評価されたユッカペッカ・ヴァルケアパーで、劇中で描かれるBDSM(B=ボンテージ<拘束>、D=ディシプリン<調教>、SM<サディズム、マゾヒズム>)について、「撮影に入る前は、簡単な知識しかなかった。映画や写真、テレビで見たくらいでした」と語っている。
しかし、本作への取り組みを通じて、「BDSMは親密な行為で、それがとても重要な要素であることを見せる必要があると確信しました。当事者間では本物の強い絆が生まれます。すべての感情をさらけ出し、妄想の世界に深く踏み込むには、信頼関係がとても重要なんです」と説明し、人と人をつなぐ一つのツールとして、SMを題材にしようとしていたことがうかがえる。
SMプレイの描写では、様々なグッズが並べられ、過激なシーンも続くが、そこにはヴァルケアパー監督ならではの視点が詰め込まれている。「SMの道具よりも、人を撮ることを大事にしました。性具にはたしかに興味深い面もありますが。ユハとモナの重要な場面で注目してほしいのは、ふたりの眼差しです。私に言わせると、SM体験の大部分は当事者の中で起こるもので、衣装や道具類は妄想をかき立てる手段にすぎないのです」
SMの世界にのめり込むユハと彼の生きる支えとなるモナ。ふたりの関係や行為のすべてを理解し、共感するのは難しいが、抑圧から解放された彼らを観ていると、このような“救い”もあるのだと感じてしまう。
英題は「DOGS DON’T WEAR PANTS」で、直訳すると「イヌはパンツを履かない」…。このタイトルが示す通り、ありのままの欲望をさらす登場人物の姿になにを思うかは、人それぞれだ!
文/平尾嘉浩