「美少女戦士セーラームーン」担当編集・おさBUが振り返る、武内直子とファンと共に歩んだ道のり
少女漫画誌「なかよし」(講談社)で1991年から1997年に連載された「美少女戦士セーラームーン」が、『劇場版「美少女戦士セーラームーンEternal」』(前後編ともに公開中)として映画化され、かつてのファンから新たな観客までを魅了している。
MOVIE WALKER PRESSでは、原作者の武内直子と二人三脚で走り続けてきた原作編集担当であり、『劇場版「美少女戦士セーラームーンEternal」』ではシニア・プロデューサーを務める講談社の小佐野文雄にインタビュー。自他ともに認めるマーキュリー男子であり、ファンからは“おさBU”の愛称で親しまれている彼に「美少女戦士セーラームーン」誕生の裏側から、劇場版に込めた想いまでを5000字以上にわたり語ってもらった。
今世紀最大の皆既日食の日に、うさぎとちびうさは助けを求めるペガサス/エリオスに出会う。時を同じくして新たな敵が現れ、平穏な日常を送っていたうさぎたちは再び戦いの渦に飲まれていく。前編ではちびうさとエリオスの淡い初恋や、セーラー4戦士たちが夢と使命の間で悩みながらも成長していく姿が描かれていたが、後編では、いよいよ外部太陽系4戦士が戦地へと駆けつけ、デッド・ムーンとの全面対決の火ぶたが切って落とされる。
「武内先生は、キャラクター一人一人の個性を大事に考えていました」
原作者・武内直子の第一印象を、小佐野は「キャピキャピしていました(笑)」と振り返る。「誌面の企画などで編集部と作家が交流する機会もあったので、担当になる前から武内先生と面識はありました。デビュー当時の先生は現役の女子大生だったので、最初はいまどきの女性という印象。でもお話してみると、実際はすごく芯がある方で、大学では薬学を勉強なさっていましたし、高校では天文部に所属していたこともあり特に理系の知識が豊富で、こちらの予想以上のものを返してくれるんじゃないかという期待感がありました」。
1991年初頭、担当していた「きんぎょ注意報!」がアニメ化された頃、小佐野はのちに「るんるん」として世に出る増刊誌の立ち上げに携わっていた。
「当時の『なかよし』連載作品はラブストーリーが主流で、作家さんのそれ以外の個性を出しづらい環境だったんです。そこで、『るんるん』では作家の好きなものを自由に描いていただき、新たな作品ジャンルに取り組んでもらおう!ということで、普段の『なかよし』ではできないようなアイディアを20案くらい考えました。そのなかにセーラー服の女の子が戦うという話があったんです」。
小佐野は、当時フィギュアスケートを題材にした「Theチェリー・プロジェクト」を「なかよし」に連載中で、専業漫画家になっていた武内にこのアイディアを持ち掛ける。
「武内先生に提案したらすごく気に入ってくださって、連載と並行して読み切りでやってみようということになりました。そうして誕生したのが『コードネームはセーラーV』ですね。ちょうどそのタイミングで前の人間が先生の担当編集を離れることになり、僕が『きんぎょ注意報!』を後輩に引き継いで、デビューから3代目の担当になったんです」。
こうして1991年夏休み号の「るんるん」に掲載された「コードネームはセーラーV」はすぐさま反響を呼び、テレビアニメ化を視野に入れた企画として新たに練り上げられていく。そうして誕生したのが、「美少女戦士セーラームーン」だ。
「武内先生は、最初キャラクターに合う衣装を一つ一つ丁寧にデザインしてくださったんですが、これは見送りになりました。5人の戦士が悪と戦う『セーラームーン』は、いわば『スーパー戦隊』に近しいフォーマットですから、アニメ作品として展開するにあたってある程度デザインを統一していただきたいとお願いしたんです。その2週間後には、現在の原型となるデザインが仕上がってきたんですが、そこには先生なりの抵抗のあとがありまして(笑)。ピアスの数が左右で違ったり、胸元と腰のリボンの配色が違う子がいたり。先生としては『女の子には一人一人個性やこだわりがあるし、自分なりの好きなものがある』ということを、ちゃんと考えてデザインしていたんですね」。
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