「芸術か、ワイセツか?」物議を醸した『愛のコリーダ』&『戦メリ』で堪能する、大島渚という宇宙
ビートたけしに坂本龍一、デヴィッド・ボウイ…エグ過ぎるキャストの豪華さ
かくして『愛のコリーダ』は世界的な話題作となり(1981年には本作に触発されたクインシー・ジョーンズのディスコ曲「愛のコリーダ(Ai No Corrida)」が大ヒット)、続いて大島渚は1978年の『愛の亡霊』で第31回カンヌ国際映画祭の監督賞を受賞。その絶好調を受けて1983年、日本、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド合作の超大作として贈りだされたのが通称『戦メリ』だ。
本作は大島の国内最大のヒット作だが、フィルモグラフィの中で最も奇妙な1本とも言える。ちなみに、筆者はこれが初めてのリアルタイムの大島渚体験で、当時小学6年生。観に行った理由は、バラエティ番組「オレたちひょうきん族」で人気の「タケちゃんマン」ことビートたけしが出演していたから。さらに主演は、なんと坂本龍一(YMOに加え、1982年には忌野清志郎とのコラボシングル「い・け・な・いルージュマジック」で音楽番組に出まくっていた)。『戦メリ』は子どももアクセスできる回路を敷かれた「どメジャー映画」として組織されたのだ。
製作はジェレミー・トーマス。第二次世界大戦中、インドネシアのジャワ島における日本軍の俘虜収容所での人間模様を描くものだが、とにかくキャストの豪華さがエグい。ビートたけしや坂本龍一に加え、デヴィッド・ボウイ、内田裕也、ジョニー大倉、三上寛。ほとんど「ロックスター映画」なのだ!
大島渚のキャスティング術は独特で、監督いわく「一に素人、二に歌うたい、三四がなくて五に映画スタア」。特に時代のシンボルやアイコンとなる太い存在を置く。「映画はキャスティングが8割」とも喝破する大島の方法論が、最も端的かつキャッチーに表出されたのが『戦メリ』だと言える。
国と文化、立場や障壁も超えた愛の関係性
コンセプト設計としては西欧と東洋の文化的衝突という主題が設置され(思想的な支えはルース・ベネディクトの日本文化論「菊と刀」だろう)、ジャポニズムの美学が過剰に押し出されもするが、物語の核となるのは、日本軍人のヨノイ大尉(坂本)とイギリス人俘虜、セリアズ少佐(ボウイ)の立場や障壁を超えた愛の関係性だ。大島は本作のテーマを「人が、人に惹かれるということがある」だと明確に語っている。首だけ出して生き埋めにされたセリアズ少佐の髪の毛を、ヨノイ大尉が切り取って持っていくところは、『愛のコリーダ』のクライマックスに相当すると言えなくもない。
本作は「ブッダの笑顔」と評されたハラ軍曹(ビートたけし)のクローズアップで幕を閉じる。そしてビートたけしは、本作を機に映画人、北野武として覚醒。至上に美しいテーマ曲も提供した坂本龍一は、1987年に出演も兼ねたベルトルッチ監督作『ラストエンペラー』で第60回アカデミー賞作曲賞を受賞するといった後日談も、また破格だ。
この『愛のコリーダ』&『戦メリ』からオーシマという宇宙に飛び込めば、当分抜け出せないほどの刺激と悦楽を味わうことができるだろう。この令和の世に、コロナ禍の世界で、唯一無二のスーパースター映画作家、大島渚を再発見してほしい。
文/森直人