驚きのデビュー作『猿楽町で会いましょう』を世に送りだした児山隆監督が語る、デジタル時代の「シーンの作り方」【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】 - 4ページ目|最新の映画ニュースならMOVIE WALKER PRESS
驚きのデビュー作『猿楽町で会いましょう』を世に送りだした児山隆監督が語る、デジタル時代の「シーンの作り方」【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】

インタビュー

驚きのデビュー作『猿楽町で会いましょう』を世に送りだした児山隆監督が語る、デジタル時代の「シーンの作り方」【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】

宇野「物語の構造の話や企画のねらいが本当に考え抜かれているのはよくわかったんですけど、ただ、実際にカメラを回してなにが撮れるかっていったら、残酷なくらい撮れる人と撮れない人に分かれると思うんですよ。『猿楽町で会いましょう』は、どうしてこんなに撮れてるんですか?」

児山「(笑)」

宇野「映像の仕事をずっとしていたのは大きいのかもしれませんが、だからといってそういう人が撮れるとは限らないわけで」

児山「シーンの作り方なのかもしれないです。カットの累積によってシーンができるわけですが、そのカットはそれぞれのテイクを選択していくわけですよね。その選んだテイクを順番通りに並べていくとシーンになる。でも、フィルムで撮影していた時代の日本映画ってだんだんお金がなくなっていって、フィルムをケチるようになるんですよ。一つのカットを撮るために、余尺を回さずに、アップの使いどころだけを撮っていく作り方がされるようになっていった。で、それを映画の美意識や美徳のように考える人も少なからずいて」

宇野「なるほど。その意識がデジタル撮影になってからもなぜか変わってない?」

児山「フィルムからデジタルになって、本当はコストを気にせずシーンの頭からケツまで撮れるようになったのに、未だにカットを細かく刻んで撮っていくやり方が正しいとおっしゃる方もいます。本当は、黒澤明監督が『天国と地獄』でやったような、マルチカメラ(同時に複数のカメラを回すこと)での撮影だって、いまだったら簡単にできるはずなのに」

映画の“不確実性”は、演出だけでなく編集でも作れる、と持論を展開する
映画の“不確実性”は、演出だけでなく編集でも作れる、と持論を展開する撮影/河内 彩

宇野「それは本当にその通りですよね」

児山「役者さんによっては何度も繰り返しやるのを嫌う人もいますけど、芝居って頭からケツまでやることによって見えてくるものもあると思うんです。ワンカットをいかにすばらしいものにするかを突き詰めなければいけないと考えというかがあって、別にそれを僕は否定はしませんが、あるカットがすごく良くて、あるカットが全然良くなかった時に、これを突き詰めてやると、逆にめちゃくちゃ時間がかかったりする。頭からケツまで回して、そのカットの中でいい部分だけを使って、よくなかったカットは別のカットで補完すればいいとか、セリフは良くなかったけど表情は良くなかったからそこは編集でうまいことやるかとか、そういう現場での取捨選択の判断が早いというのはあるかもしれません」

宇野「とにかくガンガン回して、あとは編集勝負ということですね」

児山「カットバックの芝居だったら引きで全部撮って、寄りでも全部撮って、そこから編集でチョイスしていく。そういうめっちゃくちゃ基本的なことをちゃんとやったという感じです。頭からケツまで3テイク撮ったら、まばたきのタイミングすら同じ役者さんも稀にいるんですよ。そういう人はめちゃくちゃ編集がしやすい。金子くんはそこがかなり安定していて、石川さんは感情を顔を出すタイプの役者さんなので毎回かなり違う。

『猿楽町で会いましょう』より
『猿楽町で会いましょう』より[c]2019オフィスクレッシェンド

そこは役者さんによってタイプが違うので、この石川さんのいい表情を成立させるために、あとはなにが必要かっていう逆算を現場でやっていく。観客の予測を超えた表情とか、瞬間とか、間とか、映画にはそういう不確実性というか、脚本に決められたこと以上のことがなくてはいけないと思うんですけど、それは演出でできることもありますけど、編集で作る事もできる。編集によって意味を構築していくというか。いまの日本映画って俳優至上主義なところがあると思っていて」

宇野「それはこの連載をやっていて、監督の皆さんが共通して言うことですね」

児山「役者のいい芝居にどうやって向き合うか、あるいは距離を取るか、それが監督のキャラクターだと思うんですよ。僕の場合、いいお芝居もあくまでも一つの要素というか、ほかの演出的な要素と並列に考えていて。いい表情が撮れたとして、それをどういう間で見せるか、どういうサイズで見せるかも演出だと思うんです」

宇野「編集も演出ってことですね」

児山「自分はデジタルズームも躊躇なく使いますから。それって4Kで撮っているからできることなんですよ」

宇野「フィンチャーも編集の段階でデジタル撮影の利点を駆使してますよね。技術やスペックが上がっているなら、本来、映画の作り方もそれに合わせてもっと変わっていいはずですよね」

児山「小山田がガールズバーでバニーガールに話すシーンも、ユカの最後のインタビューのシーンも、実は微妙に後からズームをかけてるんですよ。徐々に徐々に、観客にわからないくらいのスピードで、微妙に動いていってるんですよ。トップカットとラストカットを比べると、明らかにサイズが違うのがわかります。あと、フィックスのシーンも、がっちりフィックスにさせたいところは、編集でスタビライズをかけて、細かい揺れを全部取り除いてるんです。一方で、小山田が無人の歩道橋で振り返って写真を撮っているところとかは、微妙に揺らしている。そうやって、そのまま撮っているように見えて、意外と細かいテクニックを駆使していて。デジタルでできることを、すごく細かくやってます。別に初見で気づかなくても全然いいんですけど」

『猿楽町で会いましょう』より
『猿楽町で会いましょう』より[c]2019オフィスクレッシェンド

宇野「いや、サブリミナル的にめちゃくちゃ効いてきますよ」

「映画の編集の文法を学んだのは、東陽一監督、北野武監督、庵野秀明監督の3人かもしれません」

児山「そう考えると、一番大事なのは編集かもしれないですね。こないだ『プロフェッショナル』で庵野(秀明)監督が映画にとって一番大事なのは――」

宇野「『アングルと編集』って言ってましたね」

児山「そう。『この人ほんとおもしろいこと言うな』と思って(笑)。もちろんそれはアニメーションの発想で言っている部分も多分にあると思うんですが、庵野さんの編集にはすごく影響を受けているかもしれない」

宇野「確かに!小山田とユカが最初にベッドを共にした翌日の朝、一瞬、ベランダの濡れた服のカットが入るじゃないですか。あと、最後の部屋のシーンでは、同じベランダに濡れた灰皿代わり瓶のカットがぽんっと入る。観ながら思わず拍手したくなったんですけど、言われてみれば、あれもちょっと庵野監督っぽいカットですよね」

ユカ役を生々しい存在感で演じきった石川瑠華
ユカ役を生々しい存在感で演じきった石川瑠華[c]2019オフィスクレッシェンド

児山「これは感覚的な話なんですけど、庵野さんの編集って、自分の考える気持ちのいい編集と半テンポ違うんですよ」

宇野「半テンポ早い?遅い?」

児山「早かったり遅かったりするんです」

宇野「なるほど」

児山「こっちがほしいと思う画が、予想できるような編集点じゃないところで切り替わるスリルがある。その間のずらし方とかが絶妙で。以前、庵野監督がなにかの対談で『確認させないで残すには6フレームだ』って話をしていて」

宇野「映画は1秒24フレームだから、1/4秒ってことですよね」

児山「自分もそういうことをいつも考えて編集してるので、すごく刺激されますね。どういう間で見せるのかって、なにを見せるのかと同じくらい大事で。そういう意味では、北野武作品の編集もすごいんですよね。なにをどのダイミングで見せるかっていうことを、めちゃくちゃ考え抜かれてる。人が死んでるシーンで、死体を見て驚いている顔を先に見せるのか、死体を先に見せるのか。そういう編集の文法を学んだのは、学校でも直接教わった東陽一監督、北野武監督、庵野秀明監督の3人かもしれません。宇野さん、最初に『ノリで手持ちカメラを駆使して作ったような作品じゃない』って言ったじゃないですか。いきなり鋭いことをおっしゃるなって。今回手持ちも使ってますけど、手持ちに切り換わる瞬間をどうバレないようにするかも、実は編集でめちゃくちゃ気をつかっていて」

宇野「やっぱりそうですよね」

児山「手持ちに切り換わる瞬間って、観客として観てると、『いまからなにか動的なことが起こるかもしれない』ってなっちゃうじゃないですか。動的なことを予測させてしまったら、動的なことが起こった時にびっくりしない。少なくとも僕は『はいはい、手持ちに変わったからなにか起こるのね』『はい起こりました!』って思いながら映画を観ちゃうんですよ」

手持ちに切り換わる瞬間をいかにバレないようにするか?を工夫したという
手持ちに切り換わる瞬間をいかにバレないようにするか?を工夫したという撮影/河内 彩

宇野「わかります(笑)」

児山「静的な画を入れた次のカットに動的なカメラワークを入れて、そこから自然に手持ちに切り換えていく。そういうトランジションをめっちゃくちゃ考えて編集していて。手持ちに切り換わる瞬間が、『はい手持ち!』みたいにならないように、すごく頑張ってやってます」

宇野「こうしてお話をしていても、デビュー作の監督とはやっぱり思えない(笑)。最後に、この記事は公開後にアップする予定なので一つだけ野暮な質問をすると、ラストシーンで部屋に裏返しになった写真が1枚残されているじゃないですか。あの写真には何が写っている設定だったんですか?」

児山「あのシーンは、ただ写真は裏返しているんじゃなくて、そこにちゃんとあるものが写っている写真を置いたんです。一応、僕的には『これかな』というものが写ってるんですが、観客にはそこまで見せなくてもいいかなと」

宇野「想像はつきますが、確かに、そこは言わない方がいいかもしれませんね。写真にせよ映画にせよ、撮ることって、ある種の加害性と表裏一体で。実は本作のテーマもそこにあるんじゃないかと思うんですよ」

児山「そうかもしれないですね」

『猿楽町で会いましょう』より
『猿楽町で会いましょう』より[c]2019オフィスクレッシェンド

宇野「だから、この作品では直接的な暴力は描かれてませんが、すごく暴力的な映画でもあると思ったんです。小山田の仕事はフォトグラファーですが、最後にユカの写真を撮るシーンで、彼は自分の仕事そのものを貶めたんじゃないかって」

児山「あそこで彼は自分の加害性を意識してカメラを構えてますよね。実は、小山田にフォトグラファーとしての才能があったかどうかもあやしい」

宇野「そうなんですよ。よく考えると、スターになった久子の撮影仕事も含めて、結局彼の仕事って全部がユカとの関係性から発生したもので」

児山「そこも残酷なんですよね」

宇野「そう。だから、ストーリーの上辺だけを追っているとユカに対してすごく残酷な作品に思えるけど、小山田に対しても相当残酷な作品だなって。いやー、本当におもしろかったです。この取材で話していただいた技術的な側面も踏まえて、早くもう一度観てみたいです」

児山「ありがとうございます(笑)」

取材・文/宇野維正


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