父子のドラマだけでなく、散りばめられたメタファーの考察も…『バケモノの子』は多面的に楽しめる作品だ
孤独な少年が迷い込んだのは、バケモノたちが闊歩する奇妙な世界だった――。2006年の『時をかける少女』以来、3年おきに新作を発表し、そのすべてをヒットさせてきたアニメーション監督、細田守。自身が手がけた長編映画史上最高となる興行収入58.5億円を記録したのが、2015年に公開された『バケモノの子』だ。
細田監督の作品と言えば、『時をかける少女』のタイムリープ設定、『おおかみこどもの雨と雪』(12)における「おおかみおとこ」の存在のように、ありふれた日常の中にひょっこりと異物を紛れ込ませた虚実曖昧な世界観が思い浮かぶ。しかし本作では、現代の東京・渋谷と、“バケモノ”が棲む異世界という、完全に分かれた2つの場所が舞台。リアルかつ緻密に描かれた渋谷駅前の街並みと、純度の高いファンタジーの世界を、同時に堪能することができる。
父子の絆にボーイ・ミーツ・ガール…いくつものドラマを内包した多面的な作品
主人公は9歳の少年、九太。両親の離婚、母親の死によって自暴自棄になった彼は、一人で渋谷の街をさまよっていた時に熊の姿をしたバケモノ、熊徹と遭遇し、バケモノたちが暮らす「渋天街」に足を踏み入れる。なによりも強さを求めた九太は、熊徹の弟子となって修行を積み、やがて17歳のたくましい青年へと成長。ある日、偶然にも渋谷へ戻ることになった彼は、そこで新しい価値観や将来の夢と出会うことになる。一方その頃、「渋天街」では恐ろしいことが起ころうとしていて…。
ストーリーの外枠だけを追うと、厳しい修行で強くなった九太が活躍するヒーローアニメのように映るかもしれない。確かに、木刀もろくに振れないほどひ弱だった九太が、熊徹の動きを見よう見まねでコピーして自分のモノにしていく流れはワクワクするし、ラストには世界を揺るがす存在との“戦い”も待ち受けている。
しかし、それだけではないのだ。生意気で口が達者な九太と、粗野で不器用な熊徹が、日々ケンカしながらも本物の父子のような絆を育んでいく展開には、昭和のホームドラマのような懐かしいぬくもりが漂う。さらに、渋谷に戻った九太が同年代の少女と距離を縮めていくくだりは甘酸っぱいボーイ・ミーツ・ガールであり、人間とバケモノの狭間で「俺はなんなんだ?」と自問する九太の自分探しのストーリーという側面も描かれた。いくつものドラマが内包されたこの映画は、鑑賞する私たちの年代や生活環境、立場などによって様々な見方ができる、複雑な多面体のような作品といえるだろう。