「未来から見れば、現在も時代劇」。『サマーフィルムにのって』松本壮史×三浦直之が込めた、ものづくりへの“好き”
映像監督、松本壮史、1988年生まれ。劇団「ロロ」主宰、三浦直之、1987年生まれ。これまでも共同作業を続けてきた同学年の2人が、映画『サマーフィルムにのって』(公開中)で最新のコラボレーションを見せている。
「細かい引用のセンスがめっちゃ好きかも。作家としてめっちゃ近いかも」
松本監督は、ロロの演劇を初めて観た時、三浦にそんなシンパシーを抱いたという。
「今回もネタ出しの段階で、これはアリ、これはナシの価値判断がすごく近くて」
三浦も言う。だから、至極スムーズに、トントン拍子で企画が生まれたのだそうだ。
互いへの信頼から生まれた映画は、様々なジャンルを横断しながらも、既成概念に囚われておらず、自由闊達で、まぶしい輝きに満ちている。部活、映画づくり、タイムスリップ。この組み合わせが、新しいかたちで青春の普遍を浮かび上がらせる。
映画部では落ちこぼれ的存在、高校3年生のハダシ(伊藤万理華)は、勝新太郎が大好きで、自分なりの時代劇を撮るべく、脚本をしたためている。文化祭への出品選定からは、圧倒的大差で落選。しかし、親友である剣道部のブルーハワイ(祷キララ)、天文学部のビート板(河合優実)の後押しもあり、非公式での映画制作に乗りだす。タイトルは「武士の青春」。自分と同世代の視点から紡ぐ時代劇だ。
ところが、肝心の主人公のイメージに合うキャストが見つからない。いつものように名画座で時代劇を堪能していると、そこに、ぴったりの青年が!雷に打たれたように運命を感じたハダシは、逃げる彼を追いかけ、半ば強引に主演させることに成功。しかし、その青年、凛太郎(金子大地)には未来からやって来たという秘密があった。
「こんな青春映画は嫌だ、と、王道にしたいが同時にあるんですよ」(松本監督)
――日本には部活映画の伝統があります。また、それに付随した「青春映画って、こういうもの」というイメージもあります。また、タイムスリップは映画の王道でもある。ところが、それらを組み合わせた『サマーフィルムにのって』は、既存の映画にはない新鮮さがありますね。
松本壮史監督(以下、松本)「恋愛じゃない青春映画にしよう。そこから“ものづくり”がいいね、となり、時代劇が好きな女の子が生まれました。未来人が来る!という設定を考えたのは三浦さんで、これ、めちゃくちゃおもしろいかも!と盛り上がった記憶がありますね」
三浦直之(以下、三浦)「未来から見たら、いまも時代劇だ!っていうことを共有できたのは大きかったですね」
松本「そこからうわーっと、3、4時間でほとんどのことが決まったよね」
――まさに、ものづくり。その企画会議のありようもまた映画のようですね。同世代感覚って、ありますか。
三浦「ありますねえ。同じクラスだったら、絶対、仲良くなってただろうなって。観てるものが一緒だし、その、どこがいいかと思う感覚がかなり近いんで」
――自主映画制作を巡る作品には、ある種の傾向があります。なんというか、映画愛があふれすぎていたりするんですよね。一方で、多くの部活映画はやたら一致団結に落ち着きがち。この映画は違いますね。主人公は、勝新太郎好きで、時代劇好きで、高校生としては異端ですが、映画自体がマニアックな方向には絶対行きません。そして、ハダシはかなり猪突猛進型で、浮き沈みが激しく、いわゆる「仲間と絆と友情!」みたいな雰囲気にもなりません。
松本「三浦さんとは、『こんな青春映画は嫌だ』みたいなものがお互い、口にしなくても前提としてあるんですよ。そこをあらかじめ避けているから、そもそものスタートラインが近いんですよね。でも、王道にしようとはしていました。そこのせめぎ合いでしたね。こんな青春映画は嫌だ、と、王道。同時にあるんですよ。それが絶妙のバランスで、ヘンな感じになったのかな」
――そうなんです。奇をてらうことはせず、堂々としていますよね。でも、ベタではないし、既視感もない。新しい王道だと思います。
三浦「松本さんはディテールを作るのが上手。お話のプロットは王道の骨格で、細部にオリジナリティを作っていく。結果、いままでの青春映画と違うものになればいいのかな、というスタンスなんですよ」
松本「個性豊かな仲間たちが集まって、なかなか上手くいかなくて…これって、全部、王道の展開ですよね。でも、その中の何%かにオリジナリティを入れ込んでいくんです」
三浦「印象に残っているのは、バイトのシーン。松本さんは最初から言ってましたね。絶対、お金を稼ぐシーンを入れるのだと。映画を撮る楽しさだけでなく、そのための肉体労働やお金集めとかいうものも入れなければいけないって」
松本「映画制作にまつわるすべてを描きたい。それはこの子たちにとって初めてのことで、全部が初めての出逢いで、おもしろい」