『アイダよ、何処へ?』の女性監督が明かす、未来への希望。“戦後最悪の悲劇”を描いた理由とは
<ヤスミラ・ジュバニッチ監督インタビュー全文>
-母親が家族を守ろうとするドラマを主軸に映画を制作したきっかけは?
「戦争が勃発したとき私は17歳で、“スレブレニツァの虐殺”が起きた時は20歳でした。我々はスレブレニツァを国連に保護されている安全地帯だと思っていましたが、セルビア人勢力に制圧されたとき、全てが崩壊しました。国連も、人権も、二度と同じ過ちを繰り返さないというホロコーストの後に立てた誓いも、暴力に屈するしかないのなら、我々にはなにが残るのでしょうか。このショックは何年も私のなかから消えることはありませんでした。この事件について映画を作りたいと即座には思いつきませんでしたが、なにかしたいという気持ちは常に自分のなかで燃えていました。事件から時間が経ち、ようやく何人の方がどのように殺されたのか分かりました。罪を隠蔽するために、被害者を集団墓地に埋め、また違う集団墓地に移す、ということが行われていました。私は“スレブレニツァの虐殺”の犠牲者の母親たちと出会い、彼女たちの耐えられないほどの悲痛な経験談、そして彼女たちの偉大さに感銘を受けました。彼女たちが苦しみとともに生き抜いてきたこと、復讐心など一切抱かず社会を再構築しようとしてきたこと。ただ正当な裁判、そして息子、夫、家族の遺体との再会だけを望んでいること。これら全てが、私にとっての制作の糧となっています」
-通訳の女性アイダを主人公に据えた理由は?
「女性の目線からこの事件を描きたかったのです。男性による戦争映画はたくさん存在しているし、スペクタクルを撮りたいわけでもありませんでした。私は、戦争は陳腐な悪によって引き起こされるものだと思っています。このことが映画で描かれることは稀です。そのため、人々が101分間ずっと共感できるような優柔不断な女性の主人公に物語を導いてほしかったのです。彼女は国連の通訳で、国連のバッジを持っているため、一般のボスニア市民よりも多くの情報、権限を持っています。しかし、彼女の家族は一般のボスニア市民であるため、二つの世界の狭 間にいます」
-タイトル『アイダよ、何処へ?』の原題『Quo Vadis, Aida?』は、聖書の中の言葉ですね。なにを意味するのでしょうか?
「私はあの年の7月に起きたことだけでなく、アイダのスレブレニツァへの帰還を描くことで、映画を現代と繋げたいと思いました。戦犯たちが現在も暮らしているスレブレニツァに帰り、彼らと向き合った女性たちの話を聞いたとき、彼女たちの勇敢さには脱帽しました。このような痛みを抱えながらも皆のことを考えられる心を持つことがどうして出来るのか、自問しました。主要な戦犯たちには有罪判決が下されていますが、スレブレニツァでは戦争に手を染めた人間が大勢いて、全員が裁きを受けたわけではありません。もし皆が復讐を唱えだしたらボスニアはどうなるでしょうか?いまだに戦火の渦中かもしれません。聖書にもある話ですが、自分たちが迫害された場所へ戻るという彼女たちの行動に大変感動しました。彼女たちはこの世を超えた何か、聖人たちに帰するものを持っている。私にとっての今日の聖人は女性たち、特にスレブレニツァの女性たちです。そう考え、神話や帰還についての物語を調べました。そして聖書の物語が完璧に合いました。加害者たちがいる場所へのアイダの帰還は、まさに私が彼女の“旅路”に対して感じていたことと同じだったのです」
-映画制作にあたり、軍部や当局から反対があったそうですが、撮影はどこで行いましたか?
「スレブレニツァでの撮影は無理だと判断を下し、ボスニアの南部で、スレブレニツァの国連基地のセットを作りました。このセットは私にとってとても重要でした。もともとは物を作っていた工場でした。映画制作はポジティブなことです。そういう物を生み出すための場所が、人を苦しめるものに変わるのを見せたかったのです。それを伝えるために、撮影場所を選ぶのはとても重要でした。事件が起きたのが7月という時期なので、実際に起きたこととは対照的な夏の陽気な色彩を作りたかった。そうやって場所を選び、それから、どのカメラを使うべきか、照明をどうするかを決めました。美しさと人間の邪悪さを対比させるためには、とても重要なことでした」
-紛争は終結しましたが、人種の壁とナショナリズムが強化されてしまった今日、監督の心境はどのようなものでしょうか?
「非常に難しいテーマです。現在のスレブレニツァ市長が『スレブレニツァの虐殺は無かった』という否定派であるため、市内で撮影を行うことができませんでした。現在も、90年代と同じ言語、同じ憎悪を用いる政治的勢力が存在しています。人々はこのような勢力が正しくないことを理解しています。公正な平和が保たれており、なにも問題がない、とはとても言えない状況です。なので、これは非常に難しい質問ですが、我々はこの映画の初回上映をスレブレニツァのメモリアルセンターにて、若者に向けて行いました。我々はこの映画が政治に絡められたり、どこかの党派に分類されたりすることを望みませんでした。この映画は“スレブレニツァの虐殺”についてですが、今日の人々に捧げた物語です。ボスニア・ヘルツェゴヴィナ全域、セルビア、クロアチア、ボスニアの若者たちに映画を観てもらい。上映後に彼らと話し、大変感動しました。セルビア人の男の子は、ずっと涙が止まらなかった、そして友人たちにこの映画を観て、なにを、誰を崇拝しているのか知ってほしい、と話してくれました。セルビア人のなかには、ラトコ・ムラディッチを英雄と称える人々もいるのです。このことは私に希望を与えてくれました」
文/久保田 和馬