黒沢清×清水崇、“Jホラー”師弟対談が実現!伝説の不条理ホラー『回路』はどのように生まれた?

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黒沢清×清水崇、“Jホラー”師弟対談が実現!伝説の不条理ホラー『回路』はどのように生まれた?

「“無”になることがどういうことかを見せつけられた」(清水)

黒沢「俳優を使って気味が悪い動きをしてもらうやり方を、具体的に編みだしたのは鶴田法男さんで、僕たちはそれに非常に影響を受けています。生きた人間を使っているから限界もある。CGでやることも、当時からすでに技術的に可能ではありましたがそれはやらない。あくまでも人間が動ける範囲のなかでやるようにしました。『回路』では昔からの知り合いだった北村明子さんが、『リング』かなにかを観た後だったのでしょう、『私あの貞子より気持ちの悪い動きができるんで、使ってください』と言ってきたので、じゃあ気持ちの悪い動きをよろしくと」

清水「鶴田監督だったり、小中千昭さんが作りだした“小中理論”が斬新だったので、僕も結構真似させてもらいました。でも鶴田監督がすでにやっているもの以上に昇華することがなかなかできない。それを黒沢監督は『回路』のなかでやってのけている部分が何箇所かあって。ここまでできるのかと見せつけられた気がしました」

黒沢「自分では試行錯誤したつもりです。インターネットを通して幽霊が広まっていくというアイデアも、露骨に『リング』で貞子がテレビから出てくるのを真似しているわけですし、デジタル的な表現も当時はまだ目新しいものだったわけです。すでにみんなコンピューターも携帯電話も持っていたけれど、まだ映像が送れる時代ではなかった。劇中に携帯電話で映像を送るシーンがあるけれど、その時にはまだ世間的に広まってなかった技術だったので疑心暗鬼のなかでやっていたんです。そんな懐かしい20年前の映画でしたね。ただただデジタル時代の幽霊を追求したんです」


初見時の驚きを語った清水は、『回路』のプリントTシャツで登壇
初見時の驚きを語った清水は、『回路』のプリントTシャツで登壇

清水「『回路』で助監督をやっていた方が、最近僕の『恐怖の村』シリーズについてくれていて、当時の話をよく聞くんです。劇中で主人公がインターネットに試行錯誤しているシーンがあって、助監督はまさにそのような感じで模索していたと。このインターネットさえあれば世界中の人がつながるかもしれないという世界を描きながら、どんどん人がいなくなっていく。真逆をやっていて、人がいない繁華街で“無”になることがどういうことかを見せつけられた時に、幽霊とは違う怖さを感じました。あの銀座のシーンは本当にとんでもないなと」

黒沢「あのシーンは大変でしたよ。CGがいまみたいに自由自在に使えなかったので、実際に撮っているんですが、あちこちの道を何十人という助監督の方が車止めして、大渋滞になって、クラクションがそこら中で鳴っているなかで撮影してましたね(笑)」

「真似から入って、自分なりのテーマを見つけていく」(黒沢)

黒沢「この『日本ホラー映画大賞』という試みは本当にすばらしいというか、ホラーというジャンルがここまで定着したのかと。それは清水とか若い人たちががんばってくれて、才能ある人が次々と出て撮れる場が与えられているからだと思います。優勝した方が商業映画を撮れるというのもすごいことです。こういうジャンルが消えることなく、脈々と残っているのはこういう催しがあるおかげだと思います」

清水「104本というたくさんの応募作品があったんですが、そのなかには明らかに黒沢監督を意識して、憧れて作っている作品がたくさんありました。大体選考委員のみんなが気が付いて、『この人絶対黒沢さん好きだよね』という話になって。でも真似は真似であって、オリジナルでその監督の世界観ができていればもっと違うんですけどね」

黒沢「でも僕も鶴田さんの真似をしただけですから。まずは真似から入っても、そこから自分なりのテーマを見つけていくのが僕は正しいやり方なのではないかと思いますよ」

「3夜連続名作ホラー上映&トークイベント」はまだまだ続く!
「3夜連続名作ホラー上映&トークイベント」はまだまだ続く!

「3夜連続名作ホラー上映&トークイベント」は12月29日(水)まで開催。本日の『女優霊』(96)上映前には同作の脚本を務めた高橋洋と清水の対談が、29日の『呪怨』(00/オリジナルビデオ版)の上映前には清水監督と伽耶子役の藤貴子の対談が行われる。是非とも来場し、ここでしか貴重なトークと共に2021年を恐怖で締めくくってみてはいかがだろうか。

取材・文/久保田 和馬

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