『ハウス・オブ・グッチ』で紐解く“ブランドの元祖”GUCCIの歴史。リアルは、オペラよりドラマティックなり
リドリー・スコットが監督を務め、レディー・ガガ主演、アダム・ドライバー、アル・パチーノ、ジェレミー・アイアンズ、ジャレッド・レトらが脇をかためる話題作、『ハウス・オブ・グッチ』がいよいよ本日1月14日より、日本で公開される。
本作は、ガガが演じる野心家のパトリツィア・レッジアーニと、ドライバーが好演するマウリツィオ・グッチを軸に、世界を代表するイタリアのファッションブランド、GUCCIの創業者一族による経営権における争いや、ブランドの成功と滑落、そこにかかわる人たちの愛と憎しみの人生が交わって、殺人事件へと発展したというオペラのような実話が基になっている。
欧米で2021年に公開されるやいなや、ガガのイタリア風英語のアクセントへの違和感や、グッチ家から、とある人物の描写があまりに本人とかけ離れているなどの批判を含め、世界の各所からツッコミが入ったそうだが、そのいずれも、本作が注目に値する作品であることを示している。
作中の絶妙なタイミングで流れる、ガガの歌声は、本業が歌手であることを思い出させると同時に、その魅力をもってして、この作品をよりダイナミックにすることに成功しており、特に1983年に大ヒットしたユーリズミックスの「スウィート・ドリームス(アー・メイド・オブ・ディス)」は、時を経て、この映画のために書かれていたのでは?と思うような歌詞のハマり具合。まさに、“甘い”夢を求めて、登場人物の「みんながなにかを探している」のだ。
最も成功を収めた時期に、ドルチェ・ビータ(“甘い”生活)と呼ばれたGUCCI。本能の赴くままに華美で贅沢を極めた、あまーい生活を送るという意味だが、そこにGUCCIが、“ブランドの元祖”と呼ばれる所以がある。
世界的ブランドとして栄華を極めていくGUCCI
ここからは映画の流れと共に、GUCCIの歴史を紐解いていこう。1921年に、グッチオ・グッチがイタリアのフィレンツェで創業し、バッグやシューズなどの皮革製品ブランドとしてスタート。しかし、世界大戦が始まり、商品を販売することができなくなる。だが、そのころに発表したキャンバス地にあしらったGG(ダブルG)のデザインや、レッドとグリーンのバンドが大人気を博するように。
大戦後には、グッチオの息子であるアルド(作中で演じるのはパチーノ)とロドルフォ(同じくアイアンズ)が経営の中核を担うようになり、1947年には物資不足時に使い出したバンブーをハンドルにあしらったバッグを販売。1952年には、「グッチ・ローファー」(モカシンシューズ)など、アイコニックなアイテムを次々と発売した。
翌年には、グッチオが亡くなるが、世界への展開を反対していた創業者である父親がいなくなったアルドにとってはむしろ好都合で、もくろんでいた野心的な経営を推し進め、アメリカのニューヨーク、5番街に最初の旗艦店をオープンした。そこから20年間で、ニューヨークイチの高級区画である5番街(フィフス)のわずか数ブロック(ニューヨークの数ブロックは徒歩5分で歩ける距離)圏内にGUCCIは3店舗もあったのだ。自分たちの家族の名前が冠になり、ロゴとなって、世界を染めていく。セレブたちをはじめ、世界中のお金持ちがこぞって欲しがり、自分たちが贅沢の象徴、“ブランド”そのものになっていく。ラグジュアリーとそのカテゴリーにおけるブランディングの始まりだ。
そんな栄華を極めるGUCCIの、このころ最も大事なカスタマーは、ジャパニーズだ。この時代の日本は、高度成長期まっさかり。バブルにわく日本の、御殿場アウトレットにGUCCIを入れることに目をつけるアルドをよそに、どちらかというと父同様の経営観をもっていたロドルフォは、自身がプロデュースしたスカーフが、女優から王妃となったグレース・ケリーに愛されたり、ヨーロッパを中心にした本当のセレブに好まれたりすることを望んでいた。彼は、GUCCIとグッチ家に、真の気品と伝統の継承を求めたから、女優と自身の間に生まれた一人息子、マウリツィオを溺愛していた。華麗なイタリアの邸宅で、ビジネスについて話すグッチ家の人々の、サングラスやウォッチなどのアクセサリー、そしてファッションも、享楽的なほど甘美だ。
■『ハウス・オブ・グッチ』ブルーレイ+DVD
発売日:2022年05月25日
価格:4,980円(税込)
販売元:NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
詳細は公式HP(https://house-of-gucci.jp/ )をご確認ください。