心霊スポット・牛頸ダムを現地調査。「少女を人柱に…」“もう一つの牛首村”が福岡に実在した
「赤い服を着て行ってはいけない…」いざ、牛頸ダムへ。
不動城跡から牛頸ダムへと向かう道路は「ダム記念通り」と名付けられている。ダムと聞くと、ホラーファンとしてはついつい“湖底に沈んだ村”に思いを馳せてしまう。もしやそれが件の「牛頸村」なのではないかと邪推してしまったが、先に言っておくと牛頸ダムの建設にあたっては数戸の家屋が水没したのみで、村や集落などはなかったそうだ。
1965年に大野町営ダムという小さなダムが作られたものの、治水力がなく周辺地域は頻繁に洪水に見舞われたという。さらに当時急速に進んだ近隣の宅地造成によって人口も急増。水不足に悩まされるだけでなく、流量の少ない川に生活排水が流れ込むなどし水質汚濁や悪臭にも悩まされたそうだ。そこで5年以上の調査期間を経て1977年に福岡県営の牛頸ダムの建設が始まる。そして1992年に完成していまに至る…というのがおおまかな牛頸ダムの歴史だ。
辺りは夕暮れ時。天気がすこぶる良かったこともあって、ダムの周辺はいたってのどかな雰囲気。バス釣りスポットとして人気があるようで、釣りを楽しむ人々の姿や犬を散歩する人たち。また、広々として密を避けられることもあってか、散歩やランニングをしている人の姿も多く見受けられ、地域住民たちから親しまれる公園のようだ。実際ダム周辺にはいくつもの公園があって、そのうちの一つ「大野城いこいの森中央公園」にはアスレチックも充実しており、子どもたちの楽しそうな声が聞こえる。
ダムのほとりにある「ダム記念公園」に行ってみると隅の方になにやら小さな祠があった。「牛頸ダム竣工記念」として建てられたというこの祠は不思議なことに、公園の外、つまりダムの方に正面を向いている。一般的にダムの近くには建設中の事故で亡くなった作業員を悼む慰霊碑が建てられていることも少なくない。この祠もそのような意味合いを持つものなのか、それともほかに“意味”があるのだろうか。
改めてこの牛頸ダムをインターネットで検索してみると数々の不吉な噂が出てくるのだが、よりによって現地で読むと、ことさら臨場感が増して感じられた。「自殺の名所」と言われていたり、過去にこの周辺で事件や事故が多発していること。さらには幽霊に追いかけられたという目撃談から、「赤い服を着て行ってはいけない」「立ち入り禁止の場所に踏み込むと災いが訪れる」など心霊スポット特有の“掟”も…。
取材班のメンバーに“赤い服”を身につけている者がいないことを確認し、ほっと胸を撫で下ろした我々は、暗くなってからあらためて調査することを決め、ぐるりとダムの周辺を一周してから牛頸地区の町のほうへと戻った。