”しんちゃん世代”のクリエイターが語り尽くす!「クレヨンしんちゃん」への30年愛
1992年のアニメ放送開始から30周年を迎えた「クレヨンしんちゃん」。劇場版30作目となる「映画クレヨンしんちゃん」シリーズの最新作『映画クレヨンしんちゃん もののけニンジャ珍風伝』(公開中)では、嵐を呼ぶ5歳児、野原しんのすけが“忍者”となる!だけでなく、しんのすけの“出生の真実”が明らかになる。
MOVIE WALKER PRESSでは、本作に携わった“しんちゃん世代”のクリエイターたちが「クレヨンしんちゃん」の魅力を語り尽くす鼎談を実施。メンバーはゲスト声優として参加したハライチの岩井勇気、アニメーション作家・イラストレーターの久野遥子、シンエイ動画の近藤慶一プロデューサーら3名。それぞれ違う表現ジャンルでの活躍を経て本作に携わることになった3人が、幼少期からいまなお愛してやまない、「クレヨンしんちゃん」の魅力を語り尽くす!
「いいところはずっと変わらないし、それが『クレヨンしんちゃん』の魅力」(久野)
――“しんちゃん世代”の皆さんが、お仕事として「クレヨンしんちゃん」に携わった経緯を教えてください。
近藤「実写映画での助監督経験を経てシンエイ動画に入社し、“しんちゃん班”に配属されました。いくつかのセクションを経験しましたが、現在はプロデューサーとして携わっています。僕が助監督時代に参加した岩井俊二監督のアニメーション映画『花とアリス殺人事件』で久野さんと知り合った時に『クレヨンしんちゃん』がお好きと聞いていたので、『映画クレヨンしんちゃん 襲来!!宇宙人シリリ』の際に、キャラクターデザインでお声掛けしました」
久野「『クレヨンしんちゃん』は、特に子どもは等身の低いキャラクターで日常を描いていますが、子どものころから、なんかおしゃれな画面だな、画作りはシンプルなのにほかのアニメとは違うな、と惹かれていたんです。近藤さんにお話をいただいた『襲来!!宇宙人シリリ』以来、映画シリーズには色々と関わらせていただいています」
岩井「僕はスタート時からいまでもファンで、テレビアニメは番組が始まった5歳のころから、映画も1作目の『映画クレヨンしんちゃん アクション仮面VSハイグレ魔王』から観ていました。そして今回、30作目にしてアニメのなかに入ることができました!二次元がすごく好きなので、不思議な感覚もありつつ、“ついに入っちゃった”という気持ちです」
久野「岩井さんが出演されたシーンは、私がコンテを描かせていただきました!」
岩井「はい、(コンテを)見せていただいた際に全部いただいて、大事にとってあります」
近藤「その場でご覧になるだけかと思ったら、『持ち帰ります』っておっしゃって(笑)」
久野「『クレヨンしんちゃん』の、現実に存在する方がキャラとして出てくるシステムが大好きで。そのシーンを自分で描くことができてすごくうれしかったし、しかも岩井さんが出るというので喜びが増しました」
岩井「映画には毎年、有名な方が出ているイメージがすごく強いです。埼玉出身なので『いつか出演依頼来ないかな』という気持ちもあったので、今回参加できて本当にうれしかったです」
――皆さん本当に「クレヨンしんちゃん」がお好きなんですね!では、子どものころと現在で、“野原一家”に対する印象に変化はありましたか。
久野「いいところは変わらない気がします。元々ダメなところがしっかりある家族ですし(笑)。昔のひろしは家事などにもあまり協力的じゃない描写も多かったように感じていますが、奥さんも子どもも愛しているという側面はしっかり描いていました。そういういい部分はずっと変わらないし、『クレヨンしんちゃん』の魅力だと思っています」
岩井「当時はしんちゃんに注目して観ていましたが、いまは、自分が子どものころの親の気持ちを想像することが増えました。『もののけニンジャ珍風伝』で、しんちゃんが涙を流し、ちょっとしんみりするシーンでは特にそんな思いがよぎりました。ただ僕は独身なので、親目線で作品を観るというより、しんちゃんの目線から見る親の気持ち、といった感じです」
近藤「僕も岩井さんと同じように当時はしんちゃん目線で楽しんでいましたが、すでにみさえの年齢を超え、もうすぐひろしよりも年上になる…と親目線でも観られるようになってきました。でも制作の立場としては親目線で作ってしまうと、しんちゃんがおざなりになってしまう。しんちゃんは能動的に物語を転がす子でなく、巻き込まれ型なんです。なので、ただギャグをやるだけのおもしろい子にならないよう、しんちゃんの感情を主軸に考えるようにしています。『もののけニンジャ珍風伝』では特に“5歳の男の子”だというところをしっかり芯に据えて、物語を作りました」
久野「しんちゃんは最初から大人を困らせる存在です。子どもにとっては痛快だけど、大人にとってはウンザリみたいなところがあって、陰と陽のような、常にどちらの面もあり続けている気がします。自分のなかでどちらが主になっていくかで目線は変わるけれど、当時からずっと、大人の目線を感じる作品だと思っていました」