吉田鋼太郎、パワハラ上司のモデルは蜷川幸雄監督?
ブラック企業に勤める会社員・青山(工藤阿須加)が、「幼なじみ」を名乗る謎の青年・ヤマモト(福士蒼汰)と出会い、生きる意味を見出していく共感感動ムービー『ちょっと今から仕事やめてくる』。
青山をとことん追い詰めていく強烈なパワハラ部長・山上を演じたのが、演劇界の重鎮であり、『半沢直樹』、『花子とアン』、『MOZU』などで知られる実力派俳優・吉田鋼太郎。役作りのヒントから今回のキャラと正反対の素顔まで、ぶっちゃけインタビューをお届け!
ゴミ箱キックで工藤阿須加が涙目に
――吉田さんのブチ切れ演技は、見ているこちらもゲッソリしてしまうほど凄かったです。
吉田鋼太郎(以下、吉田)「山上部長はホントに憎たらしいですよね(笑)。威圧的なアクションを続けることは大変。演技とはいえ、撮影中はなかなか疲れました」
――『帝一の國』(17)でも帝一のスパルタな父親を演じられていましたが、こういうハードな役へのアプローチ法は?
吉田「頭で考えるのではなく、まず現場に行ってデカい声を出すこと。テスト段階から「おまえ~!!」、「なにぃ!?」とテンションを上げ、声を張り上げれば自然とスイッチが入る。きっと、長年やっているシェイクスピアの舞台で培われたものでしょうね」
――さすがですね!
吉田「今回は成島出監督が細かく人物像を説明してくれて。本編では描かれていませんが、山上には元自衛隊という裏設定があるんです。彼自身も相当ハードな訓練を受けてきて、その結果が、サラリーマン哲学にフィードバックされているという。要は筋金入り。仕事熱心で、会社への忠誠心が強いあまり、パワハラ部長になってしまった。決して狂人ではないんです」
――成島監督はリハーサルを丹念にされる方だと伺いました。成島組はいかがでしたか?
吉田「成島監督とは初めてお仕事をさせていただいたんですが、大好きですね~。基本的にリハーサルは面倒臭い (笑)。いいじゃん、テストやって、本番やれば、って思ってしまう。でも、今回のリハーサルは、芝居の稽古をしているみたいで楽しかった。ちょっと演じては、ここは抑えてやりましょうとか、監督の的確な指示が飛んでくる。監督と二人三脚で山上像を作り上げていった感じです。
――青山役の工藤阿須加さんとは初共演ですよね。どんな印象を受けられましたか?
吉田「決して器用な俳優ではないけれど、表情や立ち振る舞いが心に残るし、何より地に足がついたクレバーな青年といった印象。僕がいろいろ仕掛ける側で、工藤くんはそれを受けて耐える役回り。彼は、その構図をきちんと理解して、お芝居を組み立てているなって。僕と工藤くんは、バランスの取れたいいコンビだったんじゃないかな」
――撮影中、工藤さんは役に入り込んで、食事も喉に通らなかったそうです。
吉田「うわ~、ホントに? アドリブでゴミ箱をガンガン蹴ったり、物を投げたりしちゃった時、確かに涙目になってたな。休憩中もずっとうつむいてたから、「大丈夫か?」って声をかけたりしたんだけど。まあ、僕が青山を演じても、彼と同じ精神状態に陥っただろうなあ」
――工藤さんからメッセージを預かっています。「吉田さんは男の色気があって、憧れの人です。飲みに連れていってください」と。
吉田「僕の見込んだ通りのいい青年だ。すぐに連絡しよう(笑)」
――吉田さんは多くの後輩俳優から慕われていますよね。こういう先輩でありたい、とご自身で心がけていることは?
吉田「刺激し合える関係でいたいとは思っています。仲良くなるのは、舞台で共演した若い連中ばかり。彼らは嘘だか本当かわからないけど、自分たちができないことを僕がやっている、なんて上手くヨイショしてくれるから僕も彼らを好きになっちゃう(笑)。でも、いつまでも、そう言ってもらえるといいな、って思うことで気が引き締まって、ますます頑張れるんです」
ちょっと蜷川組やめてきた(笑)
――もし、山上部長みたいな上司や先輩が身の回りにいたら、どう思われますか?
吉田「絶対イヤ!ちょっと今すぐ会社辞めます」
――(笑)これまでの人生の中で、山上部長みたいな人はいましたか?
吉田「間違いなく、蜷川幸雄さん(笑)。稽古場でずっと怒鳴ってるから、みんな、どんどん委縮しちゃう。リアル山上部長(笑)。今回のお芝居は、無意識に蜷川さんをモデルにしてるかもしれないですね」
――そうだったんですか!
吉田「蜷川さんに初めて会ったのは、21歳の時。舞台『下谷万年町物語』の主役オーディションに落ちて、その他大勢のオカマ役で出演することになって。オカマ100人で踊るところから始まる芝居で、若造だった僕は少しふて腐れながら稽古に臨んでいましてね。そしたら蜷川さんに「そこのお前、ちゃんとオカマとして踊れよ」って怒鳴られた。やってられるか!って、次の日から稽古に行きませんでした」
――すごい度胸ですね!
吉田「ちょっと蜷川組やめてきた、ですよ(笑)。まあ、“その他大勢”だから、僕がいようがいまいが関係ない。案の定、制作スタッフから電話もかかってこなかったしね。最終的にオカマ役は70人くらいに減ってて。僕と同じように30人辞めたんだなって (笑)」
――それでも役者の道は諦めなかった。
吉田「蜷川さんにだけには、もう会いたくないと思いながら芝居は続けていました。40歳の時、『グリークス』というギリシャ悲劇を集めて10時間にした舞台でご一緒させていただいて。目にものを見せてやろうと思って挑んだら、幸い今度は蜷川さんも気に入ってくれたみたいで。後で「当時のことを覚えてますか?」って聞いたら、全然覚えてなくて(笑)。当然ですよね」
――(笑)。
吉田「でも、あのときに怒られてよかったと心から思ってます。当時は解らなくても、しばらく経ったら理解できるようになった。僕個人としては、どうせ怒られるなら、めちゃくちゃ怒られたほうが自分の為になると思っている。褒められると、すぐつけあがっちゃうから(笑)。小栗旬や藤原竜也も、こっちが辛くなるほど蜷川さんにしごかれていたけど、食らいついたから今がある。人様に魅せる仕事なんだから中途半端でいいわけがない、命懸けでやるのが当たり前なんです。それが蜷川さんに教わったこと。本当に特別な演出家ですよ」
パートナーがいないと生きていけない
――そもそも芝居を始められたキッカケは?
吉田「高2の時にシェイクスピアの喜劇『十二夜』を見て、あまりにも面白くて、芝居に興味を持ちました。目の前で人が汗流しながら、凄いセリフを大声で喋って、動いて。芝居というものにショックを受けたんでしょうね。先生に勧められて、上智大学のシェイクスピア研究会へ。その頃は、あくまでサークルの一環で、役者になろうなんて少しも考えてなかったですね」
――それが今や舞台はもちろん、映画やドラマにも引っ張りダコの人気者に。役者という仕事のやりがい、魅力は?
吉田「もちろん生活の糧ではあるけれど、基本的にやっていて楽しいんですよね。芝居がうまくいけば、お客さんも気持ちいいだろうし。お客さんも僕も幸せになれると思っているから、続けられているんだと思います」
――ご自身を成長させてくれた仕事を教えていただけますか?
吉田「たくさんあるんですが、あれかな。「東京壱組」の舞台。若い時の自分はやたら二枚目思考で、三枚目なんてとんでもない、カッコイイ役をやりたかった。きっとプライドが邪魔してたんでしょうね。それは、プロの役者になれてないってことなんだけど。
――大谷亮介さんの劇団「壱組印」の前身劇団ですよね。当時は余貴美子さんも在席されていた。
吉田「そうそう。それまではシェイクスピアばかりやっていたけど、「東京壱組」はオリジナルをやる劇団で。30歳の頃。直腸ガンに冒された医者役で、手術を受けるから、お尻を出さないといけないと。ストレッチャーに乗って、四つん這いになって、お客さんにお尻の穴を見せる。もちろん見せちゃいけないので、血のイメージとして、お尻の穴にバラの花をさす。恥ずかしいじゃないですか、そんなの。でも、その時に何かが吹っ切れて、それ以降、舞台で脱ぐのが好きになりました(笑)」
――(笑)。どうしたら、吉田さんみたいにステキな年の重ね方ができるのでしょうか?
吉田「それは分からないですね(笑)。同世代でカッコイイなって思う人は、どんな地味な仕事からも楽しみを見出してやり続けている人。やっぱり続けるって大変ですもん。自分自身でも、役者を続けていることに驚いてますから」
――天職でしたね。
吉田「40年近く役者を続けているし、58歳にもなったから、そろそろ、そう言っても許されるかな」
――「希望がないと生きていけない」という映画のテーマにちなんで、これがないと生きていけない、というものは?
吉田「僕はこう見えてもさびしがり屋で、絶対に一人では生きられない(笑)。犬や猫じゃダメ、パートナーが必要なんです。家に帰って扉を開けて迎えてくれたり、朝4時に起きて支度して、面倒くせーなと思った時に「いってらっしゃい」って声を掛けてもらえると、その一言でやる気モードに変われる」
――最後に、仕事を辞めようかと悩んでいる人にエールをお願いします!
吉田「仕事を辞めることも、次へ進むことも”勇気”だと思います。僕自身も蜷川幸雄さんから逃亡はしたけど(笑)、役者は辞められなかった。自分にとって辞められないものは何なのか、それを大切に前へ進めばきっと道は開けますよ」【取材・文/モトヤマユキコ 撮影:小森大輔】
よしだ・こうたろう 1959年、東京都生まれ。97年に劇団「AUN」を結成、演出も手がける。蜷川幸雄演出の舞台に多く出演。16年には「彩の国シェイクスピア・シリーズ」2代目芸術監督に就任。NHK朝の連続テレビ小説『花子とアン』(14年)でお茶の間でも大ブレイク。