『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』で”ボブ・ディランの萌芽”を見つめたピート・シーガーの妻役・初音映莉子に独占インタビュー
ティモシー・シャラメが吹き替えなしで歌唱・演奏を披露し、観る者の心の深くに染み入る演技が絶賛されている『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』(公開中)。これは後にノーベル文学賞も受賞したカリスマ的ミュージシャンのボブ・ディランが、まだ無名だった1961年からその革新的な音楽性で、時代の寵児になっていった1965年までを描いた青春映画である。
この中でボブ・ディランの才能にいち早く注目し、彼の活動を後押ししたのが、フォーク・シンガーのピート・シーガー。劇中ではエドワード・ノートンがシーガーを演じ、高い演技力でアカデミー賞の助演男優賞にもノミネートされている。そのシーガーの妻トシを演じたのが、俳優・初音映莉子。トシはボブ・ディランのミュージシャンとしての変化を、シーガーに連れ添って見つめていく重要なポジションの役柄だ。近年は活動の拠点をアメリカに置いている彼女が、映画の公開に合わせて来日。その独占インタビューをお届けする。まずはトシの役が決まった時の心境から、話を始めよう。
「お話をいただいた時、最初は戸惑って『できません』と言ったんです」
「私はここ数年、コロナ禍の影響もあって俳優の仕事から離れていました。ですから監督のジム(ジェームズ・マンゴールド)からお話をいただいた時、最初は戸惑って『できません』と言ったんです。私は普段控えめな感じに見られますが、実はものすごく頑固なんですよ。ジムはそんな私の性格をよくわかっているので、私の中に眠っているタフさや強さをトシに求めていたようです。でも私が断ったので、ほかの候補者も探したようですが、思うような人が見つからず、再び出演のオファーをいただきました。その返事を渋っていたら『映莉子、今日はスタジオに返事をする最後の日なんだ。心を決めてくれ』とジムが言うので、『やります』と答えました」。
出演を決めたものの、演じることの不安が彼女の中にはあった。「しばらく芝居から離れていたこともありますし、トシは日本人の父親とアメリカ人の母親との間に生まれた女性で、セリフが全編英語ですからね。演じるにあたって、コーチを頼んで英語の発音のトレーニングには時間をかけました。やはり英語でセリフを言うのは、とても緊張しましたね」。
実在の人物を演じるのは初めてで、ピート・シーガーとトシの夫婦に関する文献や資料をかなり読み込んだという。「それとピート・シーガーの曲をずっと聴いていました。トシがどういう生い立ちで、どんな環境の中で育ったのかは勿論ですが、彼女がピートのどういったところに惹かれたのかに興味があったんです。それには彼らがどんな景色を見て、どういう生活をしていたかを知るべきだと感じて、ニューヨークでピートとトシが最初に住んだ家を見に行きました。そこはいま、ラザニアがおいしいカフェになっているんですが、店の壁を観て『二人もこの壁を観ていたのかな』と想像しました。またハドソン川沿いの、二人がよく散歩した公園にも足を運び、時代は変わってもその土地に染みついている、彼らの息遣いを感じ取るようにしました」。
そういうリサーチを経て、彼女がイメージしたトシの女性像とは?「トシはピートの妻であり、母親でもあり、同時にマネージャーでプロデューサーでもあった。また彼女自身もドキュメンタリーを監督していて、すごく行動力を持った女性です。夫を影で支えているというだけではなく、家族の幸せのために仕事としてやりこなす力強さがある。そんな彼女を、ピートは心の支えにしていて、女神(ミューズ)のように思っていたと思うんです。ピートは夢を追い続ける人ですけれど、トシは現実をしっかり見つめている人で、トシはピートにとって人生という航海をどう進めばいいのか示してくれる女神だったと思いますね」。