カリスマ書店員が『ブレット・トレイン』に見た“原作への敬愛”を解説!「伊坂幸太郎の“遊び心”と合致している」

インタビュー

カリスマ書店員が『ブレット・トレイン』に見た“原作への敬愛”を解説!「伊坂幸太郎の“遊び心”と合致している」

「『マリアビートル』を別視点で見た物語」

伊坂の小説の登場人物には“よく喋る”という特徴もある。例えば「マリアビートル」には、会話だけが数ページにもわたって並んでいる箇所があるが、同様に『ブレット・トレイン』のキャラクターたちも“よく喋る”のだ。「言葉のやり取りで言うと、タンジェリンとレモンの2人。『きかんしゃトーマス』のこととか、一見どうでもいいような話をしているけれど、そういう部分が伊坂幸太郎の場合は大事なんですよね。タンジェリンとレモンは、今回の映画で私が一番好きなキャラクターです」。

軽妙な会話劇を繰り広げるタンジェリンとレモン。息の合ったやりとりは観ていて飽きない
軽妙な会話劇を繰り広げるタンジェリンとレモン。息の合ったやりとりは観ていて飽きない

また、「マリアビートル」で“王子”と呼ばれる男性キャラクターが、『ブレット・トレイン』ではジョーイ・キング演じる“プリンス”として性別が入れ替わっているのも印象的だ。設定の解釈を微妙に変えることで、小説のファンからすると“いい裏切り”があると新井は指摘する。「小説だと“木村”が主人公だったけど、映画の“キムラ”はサブな感じになっています。それによって、この映画を『マリアビートル』を別視点で見た物語のように感じられました」と、本作ならではの楽しみ方を教えてくれた。

原作では“王子慧”という男子中学生だったが、本作では「プリンス」の名を持つ女子学生に
原作では“王子慧”という男子中学生だったが、本作では「プリンス」の名を持つ女子学生に

「よくぞこの複雑な状況を、誰もがわかる形に表現したな!」

“視点”といえば、伊坂の小説は群像劇が多く、チャプター(章立て)を立てることで、それぞれの登場人物の“視点”によって物語が描かれていくという重層的な構成になっていることがしばしば。映画版も複雑な構成になっているはずなのに物語に対する混乱はなく、キャラ立ちした登場人物によって誰が誰だかわからないといった混乱もない。結果的に“多角的な視点”を持っていることは、『ブレット・トレイン』が伊坂作品の特徴を捉えていると感じさせる所以だ。この点について新井は「映画を観て一番思ったのは、よくぞこの複雑な状況を、誰もがわかる形に表現したな!ということでした。小説というのはページを戻って読み返せるけど、映画館ではそうはいかない。『ブレット・トレイン』は複雑なはずなのに、張られた伏線も含めて、誰もが一度観ただけで理解できるのがすごいですよね」と高く評価した。

伊坂の小説には“叙述トリック”によって、読者を翻弄させる類の作品がある。言葉や文章から想起させる読者の先入観を巧みに使用して、ミスリードさせるのだ。一方でこの手法は、映像化に向いていないという問題があることを新井も指摘する。「ミステリーでは、映像化することで成立しなくなる表現も多々あって。例えば、中山七里さんの小説『さよならドビッシー』は、"映像化不可能"と謳われていたのですが、果敢に映像化へ挑んでいた。あくまでも“叙述トリック”は、文章上での嘘はついていないんです。私たちが誤認して、勝手にそう思っているだけなんですよ。ただ、映像化するにあたっては、設定を変えるのではなく、嘘をつくことで成立させなければならないことが多い。だから“叙述トリック”というものは、小説ならではのおもしろさなのかも知れないですね」。


レディバグに指示を送るマリアが、ようやく彼の前に姿を現す
レディバグに指示を送るマリアが、ようやく彼の前に姿を現す

その点で、サンドラ・ブロックが演じる、レディ・バグへ電話越しに指示を出す女性マリアが、当初は声だけでなかなか姿を現さないという演出は、“叙述トリック”の映像化に挑んだのではないか?という痕跡にも見えるのだ。伊坂の小説における筆致を映像によって踏襲することで、新井も指摘する“伊坂っぽい”ポイントを押さえている。そんな敬愛が『ブレット・トレイン』にはあふれているのである。

取材・文/松崎健夫


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