菅田将暉と原田美枝子が明かす、『百花』で乗り越えた壁「向こうの世界に行く感覚を味わいました」
記憶をだんだんと失っていく母に、自分はなにをしてあげられるのか。忘れられない“母との過去”にしっかりと向き合えるのか…。そんな切実な母と息子の愛と記憶のドラマを描く『百花』(公開中)で、菅田将暉と原田美枝子、日本映画を代表する俳優の初共演が実現した。認知症と診断された母、百合子(原田)と、結婚してまもなく子どもも生まれるというなかで、記憶を失いゆく母を目の当たりにし、反対に過去の記憶をよみがえらせていく息子、泉(菅田)の複雑な関係を、2人が全身全霊で表現。圧倒的な演技が見どころになっている。
監督は、これまでプロデューサーとして『告白』(10)や『モテキ』(11)、『天気の子』(19)や『竜とそばかすの姫』(21)など大ヒット作を手掛け、小説家、脚本家としても活躍する川村元気。自ら書いた同名小説を原作として、初の長編監督を務めたことにも注目が集まる本作だが、そんな川村監督の演出は、ワンシーンワンカットにこだわる、独特なスタイルだったという。演じる側にとっても大きなチャレンジになったのは間違いない。俳優としてどのような想いで挑んだのだろう。もしかすると自身の新たなポテンシャルも発見できたのではないか。作品への思い入れ、初共演の印象などを原田と菅田が語る。
「原田さんが俳優部の先頭に立って監督と相談に行ったのも心強かったです」(菅田)
――川村元気監督は初めての長編作品ということでしたが、演出の意図をどのように受け止めて演じられたのでしょうか?
原田「実を言うと、いったいなにを撮りたいのか、最初はその意図がわからずに戸惑いました。ワンシーンワンカットというのはあらかじめ聞いていましたが、俳優として役を身体で表現するには時間もかかります。撮る側と俳優の息が合わないと、ワンシーンワンカットはなかなか成立しません。そこまで到達するのが大変で、そこから先の監督の要求も抽象的なことが多かったです」
菅田「たぶん川村監督がご自身で原作と脚本を書かれているので、そのとおりに演じられても満足できなかったんだと思います。その気持ちを受け止めて僕らは『こういうことかな』と演じるわけですが、監督の想像を超えていなくて『それではないけど、なにが正解かはわからない』と返される。そういう瞬間が多々ありました」
――ワンシーンワンカットは俳優にとって演じやすい部分も大きいとは思いますが…。
原田「そうですね。途中で(演技を)切られず、感情の流れをキープできますから。でも監督の意図は、さらにその奥にあるようで…」
菅田「撮影の後半になって、その流れのおかげで少し演じやすくなりましたね」
原田「そうね。身を任せる感じで」
菅田「原田さんが俳優部の先頭に立って監督と相談に行ったのも心強かったです。僕がなにか言おうとしたら、すでに原田さんが先に向かってた…みたいな(笑)」
「理屈ではなく、どこか向こうの世界に行く感覚を味わいました」(原田)
――俳優として大きなチャレンジを乗り越えて、新たな発見などもあったのでは?
菅田「そうですね。泣いてから嘔吐するシーンがあって、監督もそこを『ワンカットでやりたい』と言うので、『わかりました』と挑みました。台本を読んで感情的な部分は理解できるし、(演技の)イメージはできたので、現場に行けばなんとかやれるだろうと思っていたんです。ところが実際に嘔吐物を口に入れたままだと、感情を高めても、口の中だけ水分が溜まる一方で、涙は流れてこない。それで1回、口になにも入れないでやったら、ボロボロ涙が出るんです。でも監督は『涙も嘔吐も(ワンカットで)ほしい』と言ってくる」
原田「それは生理的に無理ってことね(笑)」
菅田「身体の中のリミッターが作動しちゃった感覚です。結局、20テイク以上やったところ、最終的には涙と嘔吐の両方を表現できました。いま振り返ると、『人間できないことがある』という真理と、それも乗り越えられるという実感を苦しみながら悟ったわけで、おそらくそこを監督が求めていたのかもしれません」
――原田さんもそういった、なにかを乗り越えた瞬間はありましたか?
原田「18時くらいに撮影を始めて、OKが出たのが深夜2時だったという湖でのシーンがありました。体力も気力も限界になり、最後のほうはなにをしていいのかわからない状態になっているにもかかわらず、監督は『もう1回』と言ってくる(笑)。その時、湖の上に目を向けたら、なぜか黒澤(明)監督、溝口(健二)監督、そして私が16歳でお世話になった増村(保造)監督に『なにやってるの。大変そうな現場だね』と言われたような気がしたんです。ふいにチャンネルが合った感覚で『まあ、大丈夫か』と演じたら、そのテイクがOKになりました。理屈ではなく、どこか向こうの世界に行く感覚を味わいました」
菅田「僕も同じ現場にいて、その感覚は共有していたので、改めて原田さんの気持ちがよくわかります」