「ぴあフィルムフェスティバル」荒木啓子ディレクターが語る、「PFFアワード」の信念と自主映画30年の変化
「良い条件が揃ったすばらしい時代だからこそ、今度はなにを作るのかが大事になってくる」
1960年代から70年代にかけて一般用に普及した8ミリフィルムが、自主映画の発展に大きく貢献した。PFFの入選作品・応募作品でも90年代までは8ミリ作品が主流で、その後徐々にデジタルビデオへと移行し、現在ではスマートフォンでも容易に映画を撮影することができる時代へと変わっていった。
「iPhoneで撮影された応募作品もたくさんありました。カメラの性能がものすごくよくなったことと、撮ろうと思えばいつでも撮れるようになったこと。被写体も撮られ慣れているから演技が上手い。映画の勉強をしようと思ったら、配信であふれるほど過去の映画を観ることができる。これだけいい条件が揃ったすばらしい時代になったことは、自主映画にとって劇的な変化だと思います。だからこそ、今度はなにを作るのかが大事になってくるのです」。
30年間の自主映画の変化を目の当たりにしてきた荒木は、自主映画に残された大きな課題として「音に対する感覚」を挙げる。「どこでどう使えば効果的なのか、まだ訓練できていない作品が多い。自分が日常的に音をどう聴いているのか、映画監督になるということは、日常的にすべてのことをどういうふうに捉えて、映画としてどう表すかを考えていなくちゃいけないわけだから、音のことにも注意を払ってほしい。また、1980年代の多くの自主映画は既存曲を使っていました。好きな曲を使いたいという気持ちもわかりますが、そうすると現在活発になった、配信や上映などの二次使用ができなくなってしまうんです。もっと音に意識を向けて、オリジナルの楽曲も使いましょうというキャンペーンはこれまでも続けてきました。これからも伝えていきたい課題です」。
また作品の内容面の変化については「あくまでもPFFは、映画を必死でやっている人たちをどうやって見つけるかという映画祭なので、内容の分析や評論に関しては、自主映画の研究者や評論家の出現を待っています」としたうえで、「漫画や小説といったほかの表現物と同じ変化のなかにいると思います。例えば恋愛や結婚が人生で一番大事といった価値観が崩れてきていることで、世の中全体が恋愛ものへの興味を持たなくなっている。これを物語にしなきゃいけないんだというルールが崩れてきているからこそ、すごくおもしろいものが生まれる下地はあります」と期待をのぞかせた。
「現役でやっている人たちは皆、死ぬほど映画を観ている人たちばかり」
今年のPFFアワードの応募総数は520本。そのなかから厳選された16作品が入選作としてスクリーンで上映される。ここからまた日本映画の未来を担う新たな才能が生まれることだろう。荒木は映画監督という狭き門を目指す若者たちへ、過去のPFF入選監督を例に挙げてもらい、そのエピソードを聞いた。
まず挙げたのは『星ノくん・夢ノくん』(00)で「PFFアワード2001」に入選し、PFFスカラシップ作品『バーバー吉野』(03)を経て『かもめ食堂』(06)でブレイク。現在『川っぺりムコリッタ』が公開中の荻上直子監督だ。「荻上監督は当時からすごく多くの企画を持っている人でした。スカラシップの応募の際にも次から次へと企画が出てきたのが話題でした。きっと監督として大成したいまでもオリジナルの企画をいっぱい持っているのではないでしょうか。オリジナルでやりたいものがあって、それをなんとか実現したいと考え続けています。それが映画監督として生きていくために大事なことのひとつです」。
次に挙げたのは、「PFFアワード1997」で準グランプリを獲得した『鬼畜大宴会』(97)で映画界を騒然とさせた熊切和嘉監督だ。「『鬼畜大宴会』は大騒ぎになりましたね。当時は映倫を通さなければ上映ができなかったのですが、審査不可になってしまったんです。そこで、当時ぴあの持っていた小さな試写室で上映したのをよく覚えています。でもこの審査不可ということが話題になって盛り上がり、劇場公開にまで漕ぎ着けました」と、25年前の“事件”を振り返る。「いまはもう同じような作品が出てきてもあれほど騒ぎにはならないと思います。いまは膨大な数の映画が公開されていて、あらゆる刺激が溢れていますから」。
そして「熊切監督は当時、一人で宣伝活動をすごく頑張っていました。彼は本当に映画が好きな人。いまも現役で映画監督をやっている人たちは皆、本気で映画が好きで、死ぬほど映画を観ている人たちばかり。それがその人が映画監督であることを支えるのではないでしょうか。企画を持っていて、映画を観ていて、本も読んでいて、いろいろな人に話を聞いて。そういう人たちが残っていくのだと感じています」。