『母性』原作者の湊かなえ&廣木隆一監督が語り合う、ものづくりの覚悟と喜び「やりたいものがまだまだある」
「戸田さんと永野さんは、痛みを忘れるくらい熱演してくれた」(廣木)、「勝手に、戸田さんはファミリーだと思っています」(湊)
――役者さんの声のトーンや表情からも、「いまはこちら(ルミ子または清佳)の視点だな」と伝わる映画になっていました。映画として“視点の違い”を表現するうえでは、ご苦労もあったのではないでしょうか。
廣木「原作者さんから、『さあ、この題材をどのように映画化する?』と難しい課題を突きつけられたような感じですよね(笑)。湊さんの原作を映画化できてうれしい反面、プレッシャーでもありました。もしナレーションですべてを説明する方法を取ったとしたら、それは映画ではなくて、文章で読めばいい作品になってしまう。原作ものを映画化する時には、“これならば原作を読めばいいじゃないか”と思われるのが一番つらいことなので、映画にするならばどのようなことができるのかと考えるようにしています。それこそが、映画、そして表現力への挑戦だと思っています」
――戸田さんと永野さんにお願いしたことはありますか?
廣木「リアルなお芝居に注力してほしいと思っていましたが、2人とも撮影前に脚本を読み込んで、それぞれの解釈ですばらしいルミ子と清佳を演じてくれました。もし『その芝居は、この映画のものではない』と感じたとしたら、そこは一緒に話し合っていきますが、僕のほうから『この道筋を進んでほしい』とかっちりと決めてお願いすることはありません。むしろ『なんでもやってくれてOK』というスタンスでいます。やっぱり役者さんが、僕の想像するものを超えていく瞬間が一番おもしろいですから」
湊「すごい。役者さんに委ねるんですね。でもそのほうが思ってもないことが起きるし、役者さんも、監督に言われたことだけをやるのではなく、『これでいいのだろうか』『こんなこともできるかも』とより深く脚本を読んできますよね」
――本作で、監督の想像を超えてすばらしいシーンになったと感じられている場面を教えてください。
廣木「どこも本当にすばらしかったですが、予告編でも流れている場面で、“娘を抱き締めている”と感じている母、“母に首を絞められた”と感じている娘が描かれるシーンがあります。そこの芝居は、すごかったですね。ルミ子と清佳は泣き崩れるようにして地面に膝をつけるんですが、砂利の敷かれた場所で、戸田さんと永野さんは思い切った芝居をしていました。砂利だから、膝をついたら絶対に痛いはずなんですよ。もちろんそんなことを感じさせることもないし、おそらく2人は痛いのも忘れていたんじゃないかな。それくらいの熱演をしてくれました」
湊「ルミ子役を演じるのが戸田恵梨香さんだと聞いた時は、『戸田さんが、永野芽郁ちゃんのお母さんをやるの?』と思ったんです。戸田さんは『花の鎖』『リバース』そして本作と、3作品も私の原作ものに出演してくださっていて、勝手にファミリーだと思っているんですが、『リバース』であんなにかわいらしい女の子を演じていたのに、『もうお母さん役をやられるのか』と意外に感じて。でも完成作を観たら、冒頭の告解のシーンで戸田さんのお芝居に早くも鳥肌が立ったんです。そこでは、“無になってしまった人から出る、最後の言葉”のような声の出し方をされていて、そのやつれきった様から『この人はいろいろな苦労を重ねてきたんだろう』ということがしっかりと伝わる。『これぞ女優だ!すごい!』と思いました。もうこの役は、戸田さんしか考えられません。大女優の共演、演技合戦が見られる映画ですよね」
廣木「大地さんと高畑さんもすばらしかったですね。おもしろいなと思ったのが、大地さんは宝塚出身で、高畑さんは舞台にずっと立っていらっしゃった方。役者としての育ち方や、お芝居の質も全然違う2人なんです。そういったいろいろなタイプの方が集まったという意味でも、とてもおもしろい作品になっていると思います」