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行定勲とジュリー・テイモアが語り合う、“映画と演劇”「観客の理解度を馬鹿にしてはいけない」

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行定勲とジュリー・テイモアが語り合う、“映画と演劇”「観客の理解度を馬鹿にしてはいけない」

「テイモアさんの作品が、日本の伝統芸能に目を向けるきっかけとなってくれれば」(行定)

行定「映画と演劇とは区別されがちであり、映画でしかできないことや演劇でしかできないことを、と分けて考えられがちです。特に映画では時系列にとらわてしまい、それを入れ替えることでわかりにくくなってしまうのではと考えられることが頻繁にあります。しかし演劇では、シークエンスごとでつながったものを、解釈で埋めてしまうだけの自由度がある。テイモアさんの作品の場合、演劇も映画もお互いを行き来して、軽々と越境されている。本当に、目から鱗です」

今年のコンペティション部門の審査委員長を務めたジュリー・テイモア
今年のコンペティション部門の審査委員長を務めたジュリー・テイモア[c]2022 TIFF

テイモア「演劇では、自分がいつも信じているものを一度どこかに置いてくることが可能なのです。例えば登場人物が頭に芝の生えた台座を乗せて現れる。すると観客は、そこがアフリカの草原だと感じることができる。行定さんも大好きだという『タイタス』は、(クエンティン・)タランティーノほどではないですが暴力性の高い作品です。そのなかでタイタスの娘ラヴィニアが強姦されて舌と手を切断されるシーンは、直接的には描きませんでしたが、その後なにが起きたかを描きました。

演劇として公演した時には、台座の上に女性を乗せて、当時私は舞踏からの影響を受けていたこともあり、手があったところに黒い布を巻いてそこから枝を出し、口のところには一本の赤い線を描きました。そしてマリリン・モンローが地下鉄の空気でスカートを翻らせるイメージをもとに、彼女にバレリーナ風の衣装を着せて純粋性を描きました。これを映画で表現する際、まずはロケーションを選びました。山火事があった後の死んだ気があるような場所、そして醜い沼を選び、彼女を死んだ木の幹に乗せました。手の切断はビジュアルエフェクトで表現し、血糊もたくさん使いました。

黒澤監督よりも前の時代、F.W. ムルナウやフリッツ・ラングらドイツの映画監督たちは、とても劇場的な表現を映画に取り入れていました。重いカメラを持って色々なところにロケに行くことができなかったので、それはある意味で映画と演劇が合わさった時代だったと思います。逆に『グロリアス』で使ったようなバスは、動いているので劇では使うことができない。150箇所でロケーションを行いましたが、それも演劇では不可能なことです。

先ほど行定さんは時系列を意識してしまうとお話しされていましたが、『GO』はそんなことなかったじゃないですか。自由でクリエイティブで、内なる声を見事に描いていました。ストーリーテリングとは、リアルな世界や内なる世界や、その人の夢や抽象的な色など、色々な階層で描くべきなのです。我々にとって映画は芸術のかたち。それを最大限に活用して、創造的に使っていけばいいのです」


日本映画界にある表現の不自由さについて語った行定勲
日本映画界にある表現の不自由さについて語った行定勲[c]2022 TIFF

行定「まったくもってその通りです。芸術かエンタテイメントは見る側の解釈に委ねるという話がありますが、それを手放しても美しく楽しく、おもしろいと思ってもらえるものの集合体であるべきだと僕は思っています。しかしそれをやると観客や批評家からは分かりにくいと言われてしまう。いかにそこと切り結ぶことができるか。テイモアさんはそれに対して勇敢に、自身のやりたい表現を突きつけて理解に届けているところがすごいと感じます」

テイモア「私が思うに、観客のところまで私たちが下がっていく必要はないのです。正直なところ、プロデューサーよりも観客の方々の方が作品を理解してくれています。最近はずっと同じようなものばかりで、もっとフレッシュで新しいものをどんどん出していった方がいいと感じています。観客の理解度を馬鹿にしてはいけません。『ライオン・キング』はエンタメ業界の歴史上もっとも成功した演劇で、ストーリーはシンプルですが、それを芸術的に語っています。ディズニーの偉い人は『ストーリーを追えるだろうか』と聞いてきました。けれど私は『観客はわかります』と即答しました。

以前『フリーダ』で仕事をしたクエイ兄弟はこんなことを言っていました。映画も演劇も観客の方々を16階まで連れていくエレベーターだ。非常に洗練された詩性が16階にあり、ただおもしろいだけの瞬間が3階にある。どこで降りるか決めるのは観客であり、充実してリッチですばらしい作品であれば、どこで降りてもいいし全部わからなくてもいい。哲学的でポエティックで複雑で、エンタテインメントであっていい。日本はもっとも洗練されたアート映画が生まれてきた土壌があるので、充分に伝わるはず。現代の映画はすごく普通で、日常を普通に描いていくだけでおもしろみに欠けています。もっと想像力豊かにストーリーテリングをした方がいいと思います」

有意義な意見交換を重ねた両者の今後の活動に注目したい!
有意義な意見交換を重ねた両者の今後の活動に注目したい!

行定「この対談に向けて1週間ほどテイモアさんの作品を観続けてきましたが、こうして話を聞くとより勉強になりました。テイモアさんが日本の能や歌舞伎に影響を受けて作品が出来上がっていることを知る日本の観客たちの多くが、その大元を知らないという問題も残っています。テイモアさんの作品に触れて、それが日本の伝統芸能に目を向けるきっかけとなってくれればと感じています」

テイモア「外からきた人間が、中の人間にとって当たり前に思っていること、古いものだと思っていることに感銘を受けることが時としてあります。インドネシアに行った時にも、仮面舞踏や影絵が私にとってすごく新鮮でした。伝統芸能はすごく感動するものであり、そのエッセンスや偉大さから考えることはたくさんあります。特に日本の伝統芸能は、世界的に見ても最良のもの。決して失くしてはいけないものです」

取材・文/久保田 和馬

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