【リレー連載第1回】棚橋弘至が「聖闘士星矢」から学んだ生き方「諦めずに自分を信じて強く立ち向かっていく。現状に満足せず、上を目指す」
「泣きながら入場したのは僕のキャリアでもあの試合だけ」
大学からレスリングを始め、1998年2月に新日本プロレスの入門テストに合格。翌年1999年に大学を卒業し、新日本プロレスに入門。同年にデビューを果たし、プロ入り初勝利も飾り、プロレスラーとして順風満帆な道を歩み始めた。憧れの武藤の付き人として、日本全国を巡りたくさんのことを学び、吸収したと感謝する。「スポンサーとの食事会に同行し、高級な飲み屋さんもたくさん連れて行っていただきました。武藤さんは存在感があってどこにいても目を引きます。武藤さんに気づいたファンの人が向ける眼差しから武藤さんがスターであること実感させられました。僕まですごく誇らしい気持ちになるし、これが人として、プロレスラーとしての華なんだと学びました」と付き人時代を述懐。
初対面では「武藤敬司だ!」と圧倒され、興奮したと破顔した棚橋は「入門したらみんなライバル。ファンの気持ちは捨てるように山本小鉄さんから言われたけれど、やっぱり初対面の瞬間はファンに戻っちゃました(笑)」と照れ笑い。憧れのプロレスラー、武藤との対戦で一番の思い出として、武藤を撃破し第50代IWGPヘビー級王座に輝いた2009年の東京ドームの試合を挙げた。「夢かなと思いました。高校のころ、テレビで観てカッコいいと憧れた人が同じリング上で、目の前にいるんです。うれしいでも、悲しいでもなく、緊張でもない。あの時の気持ちはいまも言葉にできないけれど、涙があふれてきちゃって…。泣きながら入場したのは僕のキャリアでもあの試合だけです」。
厳しいトレーニングで作り上げた星矢役の新田が見せる美しい肉体も本作の注目ポイント。「100年に一人の逸材」のキャッチコピーを掲げる棚橋も美しく鍛え上げられた魅力的な肉体の持ち主だ。「大学卒業後、22歳での入門。もう上に伸びることはないから横に大きくするしかなかったし、なにより1日も早くトップ選手に、それも最短距離でなりたいという想いが強かったので、体作りは早い時点でしっかりやると決めていました。デビュー時には100㎏あったけれど、ヘビー級でやっていくと決めていたので、技術云々を身につける前に、まずは体をという気持ちでした」と入門時の強い想いに触れる。
新日本プロレスに所属するデビュー3年目くらいまでの若手選手は「ヤングライオン」と呼ばれ、大会では一番最初に入場することが多い。「『聖闘士星矢』で言えば一番下っ端の青銅聖闘士(ブロンズセイント)。入場してきた青銅聖闘士が、とんでもない体をしていたら、第2試合以降に出てくる選手たちはそれ以上強いんだと印象付けることができます。三段論法ってやつですね(笑)。生意気かもしれないけれど、デビュー時から大きな体を作ることは、ヤングライオンの僕なりに新日本プロレスのハードルを上げていたつもりなんです」とセルフプロデュースに長ける棚橋を垣間見せた。