『レット・イット・ビー ~怖いものは、やはり怖い~』青木涼&山岸芽生が、ベテラン俳優・並樹史朗から受けた刺激とエール
「俳優業は、自分のことを教えてくれる仕事」(並樹)
――並樹さんが、役者業を続けていくうえで大事にされているのはどのようなことでしょうか。
並樹「僕は、自分で満足のできる芝居なんてしたことがなくて。知力も演技力も、背丈も足りない(笑)。足りないことづくめだなと感じています。だからこそ、『とにかく勉強をしなければ』と思っていて。朝起きると日本のニュース、世界のニュースに目を通し、そのあとは放送大学で、数学の基礎や世界史などを勉強するようにしているんです。僕がお二人にエールを送ることができるとしたら、『自分は、80歳になった時にどんな演技をしているだろうか?』とイメージして、そういう気持ちを持ちながら演技に打ち込むといいのかなと感じています。若い肉体を持っている時期は幸せだけれど、だんだんときつくなってくる。するとやはり『知は力なり』と言いますか、学びが大事になってくるのかなと、僕は思っています」
――役者業は突き詰めていけばいくほど、奥深いお仕事なのですね。
並樹「本当にそう思います。そして自分のことを教えてくれる仕事でもあります。芝居をしたあとに、『自分はああいう口調で、セリフを言ったな。自分ってこういう人間なんだな』と感じる。『もうちょっとちゃんと歳を取っていかなければ』と思ったりもします」
青木「いまのお言葉を聞いて、知を積み重ねていくことが大事なんだと実感しました。また私も、圭治を演じていると『役柄を通して学ばせていただいているな』と思うことがたくさんあります。自分では知らなかったことに気づけることもありますし、そう思うと『もっと知りたい』ということが、とても大切な姿勢なのではないかと感じています。圭治の情熱の奥にあるものを“わかったつもり”になって演じてしまった時点で、いろいろなものが見えなくなってしまう。“わかったつもり”を一つ一つ引き剥がしていくことが、俳優業、そして人生においてもとても大切なことなのではないかと思っています」
山岸「役者業が、自分のことを教えてくれる鏡のようだというのは、私もとても実感しています。カメラを通した自分を見ていると、『私って、こういう表情をして、こういう動きをするんだ』と、より自分のことを客観的に見ることができます。並樹さんのお話を聞いていて、腑に落ちる部分がたくさんありました。役者業に打ち込むうえでは、やっぱり学ぶしかない。最初は別のキャラクターになりきることが好きで、このお仕事を始めましたが、一つの役を深めていく経験をさせていただいていると、そのキャラクターに真実性を持たせて、本物にしていくためには、しっかりと自分と向き合って、自分を知っていくことが大事だなと思うようになりました。役作りって、簡単に出来上がってはいけないもので、まだ汲み取れるものがあるのではないかとずっと追究していけるものでもあります。終わりがないお仕事なんだなと、改めて感じています」
――前作から続投された青木さんと山岸さんは、改めて本作はどのような映画になったと感じていますか?
青木「この映画のタイトル『レット・イット・ビー』には、サブタイトルの『怖いものは、やはり怖い』という意味がそのまま込められているのではないかと思います。圭治のセリフに、『自分が死んだことに気づいていない人を救うのは、難しいんです』という言葉がありましたが、霊的存在とコミュニケーションを取れる圭治だからこそ、そのことを痛感していて、生きている間に“ありのままの真実”を伝えたいと思っているんだと思います。本作に描かれている5つのエピソードには、いずれも真実が込められていると僕は考えております。この映画を通して、怖いものは、やはり怖いんだと気づいていただけたらうれしいです」
山岸「私も、本作のタイトルにいろいろなものが込められているなと思いました。怖いものなかにある真実、ありのままの真実を描いている映画です。そして、ただ驚かせるような怖さではなく、真実を知らない怖さまでが表現されていると感じています。目に見えない存在や、目に見えない世界をより身近に感じられる映画で、ぜひ観客の皆さんには、劇場でドキッとしていただきたいですし、諸行無常の世界のなかで道標になるような作品になったのではないかと思っています」
取材・文/成田おり枝