『怪物』で胸打つ演技を見せた黒川想矢&柊木陽太。是枝裕和監督が見つめた、少年たちが“役を自分のものにする”過程
「観ていくうちにどんどん物語に引き込まれていきました」(黒川)
――とても好きだったのが、秘密基地のシーンです。秘密基地のユートピア感というか、本当に2人だけの大切な場所という感じが画面から溢れ出ていました。
黒川「電車の内装も、自分たちでやらせてもらったんです」
――そうだったんですね!台本があったのかアドリブだったのか、あまりにナチュラルな演技も印象的でした。
黒川「台本がしっかりあるところもあれば、アドリブもありました。撮影をしていない時に2人で電車を使って遊んでいたら、その様子を見た監督が『それいいね!』とシーンに入れてくれたこともあって。だから、2人だけの空間だと、思ってもらえたのかもしれないです」
柊木「取り入れてもらえると、うれしかったですね。僕が作ったものが映画に映っているなあって」
――もともと是枝作品では、どの作品がお好きでしたか?
柊木「僕は『万引き家族』です。でも、どの作品も好きでした」
黒川「僕は『怪物』を撮り終えてから、監督の作品を観たんです。『海街diary』や『そして父になる』も好きでしたけど…でも、そうですね。『怪物』が一番好きです」
是枝「(拍手)こんな受け答えまで覚えちゃって(笑)」
黒川「でも、ほんとにそう思っています。最初、自分の顔が大きくスクリーンに映った時は『恥ずかしいな』という気持ちが強かったんですけど、観ていくうちにどんどん物語に引き込まれていきました」
「この映画で描いたのは、誰もが怪物になりうる、片足を突っ込んでいる状態だということです」(是枝監督)
――没入感のある作品だったと思います。それぞれのパートで、それぞれの視点に感情移入しながらあらゆる生き方を認めていくといいますか。それは、監督の手腕によるところが大きいと思いますが、撮影をされる際に「複数視点からの構成」というのは、どれくらい意識されたのでしょうか?
是枝「演じ分けてくれ、という話はあまりしていないので、僕自身複数視点からの構成を撮影現場で意識することはなかったです。『視点が変わると見えてくるものが変わる』ということだけを意識して、光を当てる角度で人物が違って見えるようにしました。皆さんの演技は申し分のない上手さだったので、僕がなにかをしなくてもいい。あとは編集で、どう整合性を取っていくか、ということですね」
柊木「現場では、監督がアドバイスをしてくれて、自分自身も台本を読んで考えて役に集中できたので、物語の構成まで考えることはありませんでした。そのシーンがやってきたら、その役柄としてそこに立つ、という感じでした」
――ちなみに別のインタビューでは「テイクを重ねた」というお話があったのですが。
是枝「いつもよりテイクが多かったわけではないですね。ただ、今回は複数章で構成されているため物語性が強いので、僕が普段の映画で描いているのは、日常を切り取って、描写する“スライス・オブ・ライフ”ですが、今回はストーリーテリングを強めに描いた劇映画なので、『物語をきちんと伝える』という意識はこれまでよりも強く持っていました。物語を進めていくためにどのカメラワークで、どのカメラポジションが適切なのか。そういう選択の仕方はこれまでと違うでしょうし、撮影監督の近藤龍人さんも一緒に考えてくれました」
――監督は「坂元さんの書く人間には僕が書けない人間がいる」と仰っていましたが、本作ではどの人物がそれに当たるのでしょうか?
是枝「そうですね…ある特定のキャラクターというより、“振り幅”ですね。台本を読んでいて秀逸だと思いました。例えば母親が自分の息子に『湊の脳は豚の脳と入れ替えられてるんだよ』と言われたところから、いざこざが始まります。親は子どもを守りたいから、愛情が暴走して『頭に豚の脳が入ってんのはあんたの方でしょ』と言ってしまいます。その反転の仕方が見事だと思いました。自分が言われて一番傷ついた言葉を、相手が誰であれ自分も口にしてしまう怖さ。子ども想いな母親なのに、『言いそうだな』というところまで人格を広げてしまえる人物描写は、圧巻でした」
――人間の多面性の振り幅が広い、というイメージでしょうか。
是枝「裏表がある、くらいではないんですよね。僕が描く人はもう少し狭いけれど、坂元さんの描く人物像は振り幅が広い。台本を読んでいて関心したのは、例えば校長先生がスーパーで騒がしい子どもを転ばせますよね。ゾッとするシーンから幸せを語るところまで描けてしまう説得力と、キャラクターの“ここからここまで”を見極めている感じがしました。なので、撮っていておもしろかったです」
――その多面性や振り幅の広さが『怪物』というタイトルに帰結してきますね。
是枝「そうですね。この映画で描いたのは、誰もが怪物になりうる、片足を突っ込んでいる状態だということです。見えない沼にハマってしまうかもしれないし、抜け出せる可能性も同時に持っている。言ってしまえば人間への“信頼”をベースに書かれているので、希望を感じるのだと思います。取るに足らない“怪物探し”をきっかけに、人が光のようなものを見つけていく、その人間の変容ぶりはすばらしい脚本があってこそだと思いました」
取材・文/羽佐田瑤子