戸田恵子に読者の疑問をぶつけてきた!35年演じ続けているアンパンマンが唯一無二である理由、役作り秘話までたっぷり回答
アンパンマンになるためには、どんなことをしたらいいでしょうか。(20代・女性)
「アンパンマンになるためには…とても難しいですね。常に誰かのために行動しているアンパンマンは本当に輝かしい存在で、私自身も頭が下がるばかりです。『世の中、みんなこのようにあれば諍いなんてなくなるはずだ』と思いますし、『そのような境地になれたらいいな』と思うような存在です。自分の顔をちぎって誰かに食べさせるアンパンマンですが、それを私たち人間に置き換えてみると、自分の力が衰えてしまうとわかりながら、そこまでして誰かのために尽くすことができるだろうかという問いかけが生まれてきます。『自分にデメリットがあるとしたら、やめておこうか』と考えてしまうものだと思いますが、アンパンマンにはそんなことは関係ない。とにかく『ひもじい人を助けたい』という想いで行動をしています。やなせ先生は戦時中の体験から、『ひもじい人を助けるのが、一番のヒーローだ』と常々おっしゃっていました。自分がパワーダウンしたとしても、満たされていない人のために助けに行くことができるのが、アンパンマンです」
アンパンマン人生のなかで最も大変だったこと、うれしかったことはなんでしょうか?(20代・男性)
「大変だったこととして思い出されるのは、2013年にやなせ先生がご逝去されたことです。東日本大震災のあとは、特に先生と密に交流をさせていただきました。亡くなる少し前にイベントでご一緒した際、先生は目もあまり見えなくなって、足も悪くなっている状態でしたが、ステージに出る時には『杖を置いていく』とおっしゃって。私の手につかまって、皆さんの前に出て行きました。『耳が聴こえないので、テープカットの合図がわからない。肩を叩いてほしい』と、いろいろな段取りをして子どもたちの前に立たれていました。先生は、最後の最後まで『やれることがあるなら惜しみなくやる』ということを実践された方。私はそうやって、ギリギリまで先生の雄姿を見せていただきました。
もちろんその時は、それが先生との最後になるとは思っていませんでしたから、その後に先生が亡くなり、私は親が亡くなった時とはまた違った大きな喪失感に襲われて。いままでは先生という、大きな傘のなかで守られていたことに気づきました。急に道しるべを失くし、『もう(アンパンマンを)やれない』と思い、『やりたくない』と駄々をこねてしまいました。それくらいショックでしたし、私にとってやなせ先生は、親でもない、学校の先生でもない、本当に特別な存在です。
でも13年の10月に先生が亡くなって、14年のお正月に仙台アンパンマンこどもミュージアム&モールに行って、そこで子どもたちが『アンパンマン!』と一生懸命に応援している姿を見て、『ああ、私は余計なことを考えていたな』『やらなければいけない』と思い直しました。これからも作品のなかで先生の想いを汲み取っていきたいと思っていますし、いまでも先生に支えてもらっているなと感じています。
一方でうれしかったことは、こうしてシリーズを長く続けられていること。そして劇場版を続けている中で、以前共演したり、いつも仲よくさせていただいている女優さんが、母となってゲスト声優としてシリーズにやってきてくれることもとてもうれしいです。最新作でロボリィ役を演じてくれた桐谷美玲ちゃんも以前連ドラでご一緒していますし、以前ゲスト声優をやってくれた北川景子ちゃんや、杏ちゃん、榮倉奈々ちゃんなども、みんな以前からよく知っている女優さん。彼女たちにお子さんができて、喜んで本シリーズに参加してくれるということが最高にうれしいですし、役者冥利に尽きるなと感じています」
戸田さんは、アンパンマン役だけでなく、舞台やドラマなどあらゆるフィールドで活躍されています。それぞれが別の仕事に影響を及ぼすことはありますか?「アンパンマン」でのご経験が、別のお仕事に活かされることなどがあれば教えてください。(30代・女性)
「それぞれが、実にきれいに細分化されています(笑)。現場集中型と言いますか、切り替えるという意識もなく、その現場ごとにその役に集中していて、ギアチェンジも自然に入るようになっています。共通しているのは、やはりマックスのものをお届けできるように、お稽古や練習を積み重ねていくこと。そして観ていただく方、お客様に喜んでいただきたいという想いが中心になるということです。これからも、誰かに喜んでいただける仕事を精一杯やっていきたいです」
取材・文/成田おり枝