“変態”的なオブセッションに魅入られる…。鬼才、デヴィッド・クローネンバーグの作家性を語ろう
自動車事故に性的興奮を覚える人々を描いた“変態”的問題作『クラッシュ』
ここまで読んで、“クローネンバーグって変態映画を撮る人なの?”と思われた方、ある意味、正解。次に紹介する問題作『クラッシュ』(96)は、ドラマ的にも“変態”と呼べる。J・G・バラードの小説に基づく本作は、交通事故に遭ったことをきっかけに、自動車の衝突に性的な興奮を覚えるようになる男の快楽追求を描いた、強烈にフェティッシュな作品だ。クローネンバーグ自身、自作が“変態”と評されることを理解しており、そのうえでこう語っている。
「異常なものを描いているのかもしれないが、オブセッションに憑かれている人々の姿を、私は美しいと感じる」。
本作がカンヌ国際映画祭に出品された際、審査員長のフランシス・フォード・コッポラによって激しく非難されたが、一方では内包された“美”を熱烈に支持する審査員もおり、結果的に審査員特別賞を受賞するに至った。
“肉体の変容”と“グロテスク”、“変態性”をも内包した最新作『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』
待望の新作『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』は、これらのクローネンバーグ作品の特徴が詰まった、集大成とも言える。舞台は人間の体の進化が進み、体内で新たな臓器を生みだす者も現われ、その摘出行為がパフォーマンス・アートとして認められている未来世界。そう、この世界にはまず“肉体の変容”がある。そして、人間の肉体にメスを入れ、内臓を露わにする描写は、まさしく“グロテスク”だ。主人公は、このパフォーマンスを行なうアーティストのカップルだが、彼らのアート追求のオブセッションに加え、それを見て性的興奮を覚える人の“変態性”も捉えられる。
“異常”と言われれば、その通りかもしれない。しかし人間は欲望に突き動かされる生き物であり、その衝動が強ければ強いほど限界とされていたものを突破する可能性は高まる。その先に待つのは幸福かもしれないし、破滅かもしれない。が、このオブセッションはある意味、人間の純粋さの表れでもあるのだ。そんなクローネンバーグ作品の“美”に、ぜひ一度触れていただきたい。
文/有馬楽