宮世琉弥が語る、エンタメからもらった勇気と“宮城から世界へ”羽ばたく信念
「観る前から判断するようなことはされたくないし、したくない」
自身と映画との出会いについて尋ねると、「小さい頃から休みの日には家族で映画館に行っていました」と、語りだしてくれた宮世。「父は『ワイルド・スピード』や『トランスフォーマー』が好きで、家でもよくテレビドラマを観る習慣があったので、映画やドラマが身近にあるのが当たり前のなかで過ごしていたんです。よく祖母の家の近くのビデオ屋さんにも足を運び、そこでいろんな作品をレンタルして観ていました」。
そう振り返る宮世は、「ヒーローものでも邦画でも、気になった作品ならばジャンルも年代を問わず観ます。自分の好みがあるのはいいことですが、観る前から判断するようなことは自分もされたくないし、したくないじゃないですか」と、強い映画愛をのぞかせる。なかでも好きな映画として挙げるのは、黒澤明監督がシェイクスピアの「マクベス」を下敷きにして手掛けた『蜘蛛巣城』(57)だ。
「僕の好きな服のデザイナーさんから色々な映画を教えてもらったことがきっかけで『蜘蛛巣城』に出会いました。もともと映画の裏方にも興味があったので、あの時代であの馬の数やスモッグの表現をどうやって作っているのだろうかと想像しながら観るのが楽しくて」と声を弾ませると、「でも同じ世代の人には通じないので、よくタクシーの運転手さんと映画の話をしています(笑)」とはにかんだ表情。「生まれる前の作品にもすごく興味があって、最近になって見始めた『男はつらいよ』シリーズは、いつか全作品観たいと思っています」。
「震災を風化させず、多くの人に伝えていけるのもエンタテインメントの役割」
宮城県に生まれ、小学1年生の時に東日本大震災で被災した経験を持つ宮世にとって、映画や音楽など、エンタテインメントへの想いはひとしおのようだ。芸能界を志すきっかけとなったのも、復興祭で被災地を訪れたももいろクローバーZのパフォーマンスを見て勇気をもらったことだと公言しており、その後現在の事務所に所属し2019年には“宮城から世界へ”という願いを込めて、俳優として本格的な活動をスタートさせた。
「震災から長い月日が経って、あの出来事を知らないまま育ってきた子どもたちもいまではたくさんいます。こういうことがありましたよ、という過去の歴史を教えるのではなく、またいつ同じようなことが起こるかわからない以上は知っておく必要があると思います。決して風化させてはいけないし、あの日を経験した人じゃないとわからないことがたくさんあると感じています」と、真剣な眼差しで語る。
「それをわかりやすく、そしてより多くの人に伝えることができるのは、いま自分がやっているエンタテインメントの職業。自分で作品をつくったり、作品として残して届けることがいまの自分が考える風化させないためのアクションだと信じています。そのためにこうして活動をしているので、今後ももっともっとがんばっていきたいです」。
取材・文/久保田 和馬