舞台『弱虫ペダル』が汗とハンドルでつないできた”継承”。西田シャトナー×鯨井康介のスペシャル対談が実現!
パフォーミングアーツを中心とした総合芸術祭「東京芸術祭2023」にて、舞台作品のアーカイブ化を推進し、舞台芸術を身近に、そして未来へつなげる活動を行っている「EPAD」による上映会「EPAD Re LIVE THEATER in Tokyo〜時を越える舞台映像の世界〜」が10月11日より開催中だ。近年話題になった作品から今年上演された最新作まで、舞台作品を超高精細8Kや立体音響などの高品質映像で上映する。
そのラインナップの一つに入っているのが、「舞台『弱虫ペダル』THE DAY 1」(2023年上演)。原作は2008年より「週刊少年チャンピオン」にて連載中の、渡辺航による人気漫画。ロードレースという自転車競技を題材にし、孤独なアニメオタク少年の小野田坂道が、総北高校自転車競技部の仲間と共にインターハイを目指し、切磋琢磨しながら成長していく物語だ。舞台『弱虫ペダル』(通称「ペダステ」)は2012年に初めて上演され、演出家の西田シャトナーが生み出した“パズルライドシステム”という表現技法で、舞台化不可能と言われていたロードレースを舞台上で表現。一本のハンドルと俳優によるマイムで舞台上に自転車レースを出現させる演出方法は、演劇界の革命的手法と各方面から賞賛され、現在まで続く人気シリーズとなっている。
今回MOVIE WALKER PRESSでは、ペダステの象徴とも言える“パズルライドシステム”を生み出した西田シャトナーと、2016~2019年まで同舞台に手嶋純太役として出演し、現在は演出を担っている鯨井康介のスペシャルな対談が実現。いま改めて感じるペダステの魅力や「ハンドル一つで表現する」ことの苦労話、また「舞台を映像化する」ことについての様々な想いをたっぷりと語ってもらった。
「なにもない空間のなかで、『そこにある』と自分たちが信じて、お客さんにその世界を伝えていく」(鯨井)
――まず西田さんへ「弱虫ペダル」舞台化のオファーを受けた時の感想をお伺いします。
西田「元々レースを演出することは、その何年も前にやり始めていましたので、それを見込んでお声掛けしてくださったのだと思います。話を聞いた時はうれしかったですし、自分も仕事で(原作の主人公と同じように)秋葉原に自転車で通っていたので(笑)。いろいろ偶然が重なって、来るべくして来た話だと、快諾させていただきました。舞台『弱虫ペダル』に関しても、世間的には『新しいものが登場した』とか『ちょっと変わったことやってる』と思われたかもしれませんが、私自身にとっては10年以上やってることを引き続き一生懸命やるだけで。古代演劇を現在の商業の板の上に乗せる、そういう成り行きだったと考えています」
――初めて拝見した時は、能や狂言など、日本の古来の演劇に通じるなにかがあると直感的に感じました。
西田「そんなふうに感じていただけていたなら、うれしいです」
――鯨井さんに質問ですが、最初に舞台『弱虫ペダル』を観た時の感想や、自身がキャストとして参加した感想をお願いいたします。
鯨井「最初は記事に載っている写真で見たんです。ハンドル一本持って、俳優が走って、『これで表現するんだ』というのはわかるんですが、なぜこんなに大汗をかいているんだろう?と(笑)。ここになにがあるんだろう?自転車を舞台でやるってどういうことなんだ?と疑問が湧いたのはとてもよく覚えてます。その後、映像で拝見した時に、当然これはそこに行き着くなというのがわかりました。体力的にキツいとは聞いていたのですが、想像以上にフィジカル的にもキツい作品で、これはすごいことやってるなと思ったのが、見てる時の印象です。実際に中に入ってみて、西田さんの演出を受けて僕が一番感じたのは、なにもない空間のなかで、『そこにある』と自分たちが信じて、お客さんにその世界を伝えていく。その世界観が、可能性をどんどん広げていっていますし、その“信じる気持ち”は、古来からずっとあるところだと思うんです。僕はこれをまっすぐやっていきたい、と思ったのが入ってみての感想です」
西田「本当はハンドルすら、出したくなかったんです」
鯨井「それを聞いてすごく驚きました」
西田「いらないんですよね、本当は。でも我々の現場で許されている鍛錬の時間というのは長くて2か月、大体1か月以下。何年か同じメンバーで固定してやっていくと、鍛錬は進むけど、メンバーが変わることもありますし。鍛錬を“ショートカット”する方法が必要だと思い、なにかアイテムを出すことにしたんです。ハンドルがあれば、右手と左手の間の距離の固定が容易になりますし、そのリソースを、心や信じる力に割くこともできるようになりました。”ハンドル一つで”と言うより、実際はとことん身体一つと演技で表現してるなと思います。鯨井さんなんて、まさに全身で、つま先の先まで使ってやってるもんね」
鯨井「僕は初演時にはいなかったのですが、このパズルライドシステムがある程度できていると『これ(ハンドル)を持てば自転車になるんだ』っていうマインドに陥りがちだと思うんです」
西田「参加した初期にね」
「ハンドルというバトンを持ちながら表現をすることが、作品のテーマとも、演劇の本質とも関わり、なにかが起きてる」(西田)
鯨井「身体一つが最終目標だと思いますけれども、自転車をどう表現するかを考えた人間と、考えずに乗った人間では、深みが圧倒的に変わる。先輩たちから、この姿勢でこうするとこう見えるよ…と教わるんじゃなく、自分の身体を通してどう見せられるかを考えなきゃいけないなっていうのは、入った時にすごく思ってましたし、自分が演出になった時も、そこは変わらず求めているところですね」
西田「ハンドルがあるってことは、自転車に象徴されるなにかが起きる舞台なんだっていうサインになったりする。能とか狂言でいったら、役割を象徴する伝統の文様がどこかについてるような、なにかエンブレムのような役割を果たしている部分があるよね。先代キャストの使った傷も(ハンドルに)残ってたりとかして」
鯨井「その傷の理由もだんだんわかってくるんですよね。長い間使ってたら、この辺のグリップのところが色あせてくるよなとか。多分役者たちは演じているなかで、その“劣化”の意味を知っていったんだろうなと思います。自分のハンドルを見ても『こんなところに傷あったっけ?』と思いながらやっていたので。苦楽をともにしているアイコンです」
西田「継承するっていう、芸術・生命の根幹的な部分が凝縮されるものになったらいいと思います。自転車を表現するんじゃなくて、自転車に乗ってる“人間”を表現するのが芝居。ただ、ハンドルというバトンを持ちながら表現をすることが、作品のテーマとも、演劇の本質とも関わり、なにかが起きてるっていうことは確実で、鯨井さんやレース演出協力の河原田(巧也)さんが、新しく入ってきたメンバーに乗り方を教えてる時にも必ずそこを言ってますよね。ハンドルを持てば自転車に乗れるわけじゃないっていうことを伝えるのに、四苦八苦しながらね」
鯨井「正直、すごく難しいです。そこの理解も人それぞれですし、みんないろんな価値観を持ってるので」