「なぜ戸愚呂弟はサングラスをしているのか…」綾野剛&滝藤賢一が明かす「幽☆遊☆白書」戸愚呂兄弟へのアプローチ
「共演者との芝居から得られるものにリアクションをとっていくことを大切にしていた」(滝藤)
――原作でもとても人気のキャラクターです。最先端の映像と役者さんの感情表現で役を作り上げていく作業をされたのかなと。キャラクターの魅力をどのように捉え、表現につなげたのでしょうか。
滝藤「原作からいろいろな要素を拾い、なぜ戸愚呂兄は妖怪になり弟と共に最強の強さを目指しているのか。そもそも、なぜ弟の肩に乗っているのかなどいろいろ考えました。肩に乗っていることについて、すごく考えて納得できたはずなんだけど、納得した理由はなんだったっけ…(笑)」
綾野「すごく気になります」
滝藤「弟の肩に乗って登場するわけだから、そこから考えるよね。多分、それが一番強く見えるとか、相手に恐怖を与えるとかそういうことに落ち着いたと記憶しています。いろいろ考えて納得したはずなんだけど、現場に入ったら、僕が120センチの設定だから、距離を測ったり遠近を調整したりと本当に地道な作業の積み重ねで。芝居はリアクションだと思っているから、あれこれ考えたことは一旦自分の中に入れちゃって、剛くんをはじめ、共演者との芝居から得られるものにリアクションをとっていくことを大切にしていたと思います」
綾野「僕はなぜ戸愚呂弟がサングラスをしているのかを考えました」
滝藤「気になるよね」
綾野「冨樫先生は、キャラクター構築のなかで最終的に読者がなにを感じるかということをとても大切にされていると思うんです。だから実際に彼を生きるとなった時に、自分のなかで一つ腑に落ちる部分がないといけないなと。そこで導きだしたのが、“眼だけは妖怪になれなかった”ということ。本作において、浦飯幽助と戸愚呂弟の闘いとは、守るものがある強さと失うものがない強さの闘いで、戸愚呂弟は失うものがない強さを持っている立場。彼の一縷の人間力がサングラスというフィルターを一つ挟むことで100%妖怪の状態になる。妖怪として生きていくことの覚悟と、揺らぎがサングラスに現れていると感じました」
――どんなオーダーが来るか想像がつかない撮影は、経験があるお二人だからこそワクワクしたのではないでしょうか。
滝藤「やったことのないことをやる。そこがおもしろくて。撮影の時は剛くんの後ろをちょこちょことくっついていくんだけど、これがどうなるんだろうって、ね?(笑)」
綾野「はい(笑)」
滝藤「ちょっと恥ずかしかったね。だって、大の大人だし、剛くんは日本を代表する俳優で、僕もそこそこ出ているほうですからね。その2人がこういうところから始まる撮影をしているんだって」
綾野「最先端の技術を使っているけれど、撮影はとてもアナログで」
滝藤「ちょっとでもズレたらもう一度って。だけどそれが本当に苦じゃなかったんだよね」
綾野「ノーストレスでした。今回のスキャンライン(アイライン)での撮影は顔だけの芝居を求められました。普段役によっては爪先まで意識して演じる役もありますので、表情だけに集中できるのは、なんて贅沢なんだろうと。最先端の技術と聞くとテクニカルな感じがしますが、想像を具現化、可視化して届けたいと願った人たちの情熱が、本作の証だと捉えています。ストレスなく撮影できたのは、これまでの『幽☆遊☆白書』の現場を踏んできた経験が生み出したもの。アナログと徹底的に向き合い受け入れられるように、脳内が筋トレされたお陰です」
滝藤「経験が活きた感じはあるよね。だから今度は1センチずらして演じようみたいに、いろいろと考えて調整しながら繰り返すのは、苦というよりも楽しかったです」
――お互いが兄弟役で良かったと感じることも多かったのではないでしょうか。
滝藤「そりゃそうですよ。剛くんのように作品や自分の役に責任を持って、真摯に向き合っている俳優さんってそうそういないと思います。『幽☆遊☆白書』だ、戸愚呂兄弟だ、祭りだ、みたいな雰囲気を締めてくれるというのかな。剛くんと一緒の現場だと、ただただ楽しいだけではいられない。自分のなかでもどこか気を引き締めて頑張らないと失礼になっちゃうって思える方だし、なにより、剛くんのこの作品にかけるとてつもない思いは、現場で初日の前日に行われたリハーサルから感じていました。監督と役について話す姿を遠目で見て、こちらの身が引き締まる。とても稀有な俳優さんだと思います」
綾野「滝藤さんが兄者(戸愚呂兄の呼び名)役と聞いた時には、とても嬉しくて。兄者は劇場型。自分の気持ちを全部言葉に乗せ相手を支配していく。それでいて地に足がついている感じがあって。言葉を巧みに操りながら、相手の深層心理に踏み込み、恐怖として刷り込んでいく。滝藤さんでなければできません。圧倒的な安心感がありましたし、尊敬する役者さんでもありますので、ご一緒できることが喜びでした」