“ピンク四天王”が描く、狂気とエロスの美学。社会病理を表現し続ける佐藤寿保の世界とは?
劇場主からの排斥も…ピンク映画とはかけ離れた劇薬作を連発
バブルが崩壊し、混迷極める1990年代初頭。そんな日本社会の雰囲気が佐藤監督作のなかにあるパラノイア色と終末感に追いついたのか、佐藤監督は1980年代に生み出した危険な作品以上の劇薬作を演出強度も盤石にしながらスクリーンにぶちまけていく。とある映画館では「男はつらいよ」の興行記録を超えたという獣犯モノ『密猟の汀(公開題:馬と女と犬)』(90)、盗撮カメラマンと夢遊病殺人鬼の悪夢のような出会いを描く『TURTLE VISION(公開題:盗撮レポート 陰写!)』(91)、ハルシオン過剰摂取女の激キモ不倫劇『視線上のアリア(公開題:浮気妻 恥辱責め 別題:夢の中で犯して殺して)』(92)、変態家族を持つ青年の苦悩を電車内ゲリラロケで撮り切った『誕生日(公開題:痴漢電車 いやらしい行為)』(93)、未確認尾行物体観察者を自称して街を彷徨う男が、吸血殺人事件の真相に迫る『LOVE-ZERO=NO LIMIT(公開題:いやらしい人妻 濡れる)』(94)などなど。
破廉恥な公開用タイトルとは裏腹に内容は沈鬱。スケベ心もりもりで成人映画館に足を踏み入れた世の男たちがどんな顔をしてスクリーンを見つめていたのか、貴重な時代であったことは間違いない。なお『痴漢電車 いやらしい行為』と『いやらしい人妻 濡れる』は幡寿一名義で撮っている。その理由は、いわゆるピンク映画とはかけ離れたヘヴィな作品ばかりを作る佐藤監督に対して起こった、劇場主からの排斥気運が理由。仕方がないので変名で撮らせるという制作会社が編み出した苦肉の策なのだが、このエピソードからも映画監督・佐藤寿保の飛びぬけた問題児ぶりを窺い知ることが出来る。
阿鼻叫喚の和製スプラッターで海外人気も高まる
そして時は悪趣味ナンセンス文化が花開いた1990年代後半。時代を味方に佐藤監督はメジャーに進出。そこでもエロ&グロ&バイオレンスをまぶした社会病理を表現し続けるブレなさでサブカル街道を爆走する。山本直樹原作の『夢で逢いましょう』(96)、中島らも原作の『人体模型の夜』(96)、芥川龍之介に挑んだ『藪の中』(96)、ナンセンスコメディ『やわらかい肌』(98)を矢継ぎ早に発表。
この時期の注目作は、無名時代の阿部サダヲが主演したレンタルビデオ用映画『女虐 NAKED BLOOD』(96)だろう。夢野脚本に比べてスプラッター度合いの強いストーリーを紡ぐ傾向の高い脚本家、渡剛敏とのコンビで生み出した猟奇的自傷ピンク映画『LUSTMORD(公開題:暴行本番)』(87)のセルフリメイク。究極の鎮痛薬「MY SON」が巻き起こす阿鼻叫喚を、グラン・ギニョール風特殊メイク駆使で描いた和製スプラッターだ。海外人気も高く日本でもDVD発売されたが、これもプレミア化している。
潔癖症、盗聴、SMというモチーフを取り入れた田中要次出演のゲイ映画『フェティスト 熱い吐息』(98)も奇妙な悪夢のようですばらしい。佐藤監督作の屋台骨を長らく支えてきた脚本家、夢野史郎と渡剛敏のテイストにリスペクトとオマージュを捧げたカバー版のような仕上がりで、脚本家の井土紀州が佐藤監督作初登板。井土はピンク時代の瀬々監督とのタッグで知られるほか、現在は『溺れるナイフ』(16)の脚本や、自身のメガホンで谷崎潤一郎の不朽の名作を現代に蘇らせた『卍』(23)などを手掛けている。佐藤監督ファンである井土の痒いところに手が届くストーリーテリングを得て、佐藤監督の演出は視覚的にも冴えたものになっている。
佐藤寿保が描き出す“暗闇"と“時代の負の側面"
ミレニアムに突入しても佐藤監督は、カルト漫画家の早見純による劇中イラストが怖い谷崎潤一郎もの『刺青 SI-SEI』(05)、『乱歩地獄』(05)の一編で松田龍平主演の「芋虫」、4部作構想の「華魂」シリーズなど唯一無二の世界を描き続ける。だが徐々に新作発表の機会が少なくなる。
しかし時代の負の側面は常に佐藤監督が描き出した暗闇と併走したがるのか、佐藤監督の過去作が90年代の日本映画を象徴する作品として国立映画アーカイブで上映されたり、名画座が行う成人映画特集で必ずピックアップされたり、外国人ファンが都内の成人映画館に佐藤監督作を求めてわざわざやって来た、などと言う話も聞く。コロナ禍で実現しなかったが、ファンによる新潟でのレア作品上映会も企画され、ドイツのハンブルグ日本映画祭ではレトロスペクティブの計画さえあった。