“ピンク四天王”が描く、狂気とエロスの美学。社会病理を表現し続ける佐藤寿保の世界とは?
浜辺を全裸で横切り、大海原に向かって放尿!
時代が切り離すことを拒む鬼才監督、佐藤寿保。コロナ禍という暗黒時代の尾を引きずる現在において、佐藤監督約7年ぶりの新作が公開されるのは、どこか必然だったのかもしれない。22歳で夭折した芸術家の村山槐多の魂にインスパイアされた『火だるま槐多よ』は、表現や活動を抑え込まれた多くの人々に向けた起爆剤のような作品だ。
「コロナ禍で多くの人たちが活動の場、表現の場を奪われた。さらに個々の差異や個性を認めない画一化も一層激しくなった。世界情勢・社会情勢もあまりにも不安定だ。そんな息苦しい現代に、表現と個性の爆発の塊のような槐多の魂をアンチテーゼとして問うてみたらおもしろいのではないか?いまこそやらなければいけない、そう思った」(佐藤監督)
表現の爆発にフォーカスを合わせて、いわゆるピンク映画的な濡れ場も残虐描写も抑え気味。エンターテインメント作として老若男女楽しめる作りが意識されている点に進化を感じる。しかし切っ先はかなり鋭い。脚本の夢野は、槐多が生きた時代に寄り添うように旧字で執筆したというし、佐藤監督を象徴する眼球ドアップや美意識に貫かれた裸体表現もある。全裸の僧が鉢に小便をする姿をギラギラした色彩で描いた槐多による油彩画「尿する裸僧」や詩、短編小説「悪魔の舌」を背景に塗り込みながら、地獄の門を開いてしまう若者たちの疾走を尋常ならざるパワーで活写。全裸の主演俳優が浜辺を全力で横切り、大海原に向かって放尿する。令和の師走にこんなモンド映像を観られるとは思わなかった。
槐多の過去からの声を集音機でキャッチした男。「尿する裸僧」に心を掴まれて街を彷徨う女。そして超能力研究所から逃げてきたパフォーマー男女4人。登場人物たちの設定からして穏やかではない。槐多を題材にしながらも彼については直接的には描かず、まったく新しい物語をクリエイトして槐多の表現に対する魂を炙り出そうという試み。このぶっ飛んだセンスに、謎の男を嬉々と演じた佐野史郎も「日本のアングラの系譜を絶やすものか!」と凄まじい存在感で応えた。
そのほか、フレッシュ勢は佐藤監督のキャリアも諸作品も知らない若い世代。だからこそ色眼鏡なしで佐藤監督と対峙し、その美意識に感化されて自分たちの持ちえる力すべてを注ぎ込んだ。キャストの一人は「作品の持つ摩訶不思議な力に心を奪われ、これぞ芸術だと感動した」などと手応えを口にしている。
「より多くの老若男女に感じて欲しい!それ以外のメッセージが思い浮かばない(笑)」(佐藤監督)
佐藤監督は2025年で映画監督業40周年を迎える超ベテランで年齢も還暦越え。だが演出力と表現力は衰えるどころか、美意識は瑞々しくより強度を増している。長いキャリアに支えられた確かな技術と明確なヴィジョンによって作られたシーンやショットは場面によっては震えが出るほど美しい。佐藤監督ならではの視点から生まれた画角で映し出される深みのある画は、大きなスクリーンで観るべきものだ。7年というブランクは『火だるま槐多よ』の冒頭シークエンスを観れば皆無だとわかる。
「『火だるま槐多よ』をどう観るのか?それは観客の皆さんの自由です。…感じてください!より多くの老若男女に感じて欲しい!それ以外のメッセージが思い浮かばない(笑)。村山槐多を知っている人も、知らない人も楽しめる刺激物たっぷりの内容だと思うし、予備知識を入れずに観るのもこの映画をおもしろがる一つの方法かもしれない。社会的模範という抑圧を受けながらも、自分なりの美を追求して狂い咲いて22歳で死んだ村山槐多。その精神を受け継いだ登場人物たちの表現と戦いを観て感じてもらえたらうれしい」(佐藤監督)
これまで生み出してきた作品の個性が濃すぎるがゆえに、怖そうなイメージを抱かれがちな佐藤監督。確かに映画表現の場では神がかってしまってヤバいゾーンに入るのかもしれないが、その素顔は明るく朗らかで情熱的で真っすぐな人。とんでもない作品を沢山作っておいて、普段は優しい人柄というのは逆に怖い気もするが『火だるま槐多よ』をより多くの人に認知してもらうべく、12月よりSNSの個人アカウントを初開設。本作ポスターを背負ってハチ公前や花園神社を彷徨う佐藤監督の姿を確認してほしい。このSNSデビューに『アナログ』『正欲』などの脚本家、港岳彦も「佐藤寿保監督がSNSに降臨…!」と即座に反応している。
佐藤監督作に触れたことがある人もない人もぜひ作品を鑑賞し、たぎる年末年始を過ごしてほしい。そして2024年も佐藤監督にメガホンを握ってもらう可能性を高めていただきたい。やっと今月Blu-ray発売された『眼球の夢』(16)も要チェックだ。
取材・文/石井隼人