スティーヴン・スピルバーグ&ブラッドリー・クーパーが語りつくす!渾身の一作『マエストロ:その音楽と愛と』の舞台裏
保険となるショットも撮らず、迷うことなく撮影を進められた理由
スピルバーグ「あなたは一度決めたことに対し決して振り返らずにやり遂げる、とても大胆な演出家だと感じました。スヌーピーが感謝祭のパレードでアパートの窓の外を通り過ぎる前の、レニーとフェリシアの力強く爆発的なシーン。あの美しいシーンことです。肩越しのテイクも、クローズアップも撮っていない。いくつかのテイクだけ。このシーンのコンセプトについて少し聞かせてもらえますか?保険となるショットも撮らず、基点となるショットを撮影していました。編集の際にも気が変わらなかったようですね」
クーパー「おっしゃる通りです。それにははっきりとした理由があって、ジョシュと僕はこの映画の脚本執筆に多くの時間を費やしたので、撮影のあらゆる可能性と方法がすでに頭の中に浮かんでいました。撮影現場に入るころには、自分がこの映画をどう見ているかが明確になっていました。例えば、夫婦喧嘩のシーンについて使っているのは3テイク目で、キャリーも僕も満足のいくテイクが撮れたことがわかっていました。プロデューサーも、『予備ショットは必要ない』と後押しをしてくれました。あのシーンはワイドショットであることが重要で、レニーは自分が信じる真実について語り、次のシーンで振り返ると『ペンザンスの海賊』のような髭面で、我々に顔向けすることすらできなかったんだなと気づくのです。そしてフェリシアはヴィクトリア朝の鳥籠の中にいるようで、彼女の愛の代償がなんであったかが明らかになるシーンです。だから、クローズアップショットを撮るという撮影プランはありませんでした。
頭の中でどのように映画を作るかを練り上げて、それを実行に移したわけではありません。このシーンは、子どものころに両親が喧嘩するのを見ていた経験からきています。両親を仲裁するでもなく、僕はいつも姉と一緒に遠くから見ていました。この映画の多くのシーンにも、そんな雰囲気を込めたかったのです。例えば、プールサイドで彼らが話しているシーン。僕らは離れたところにいて、聞いてはいけない話をしているような感じだけど、止めることもできないし、不安になっている。僕は子どものころ、ずっとそう感じていました。それを観客にも感じてもらいたかったんです。そして、このシーンにはキメのセリフがあって、さらにオチがあるので、クローズアップに寄ってからワイドショットに移り、それからスヌーピーが窓の外を通ったらおもしろくなくなってしまう。複数の理由があったわけですが、驚異的な才能に恵まれたキャリー・マリガンがあのシーンを見事に先導し演じてくれたおかげで、映画として大胆な演出ができたというわけです」
スピルバーグ「私が監督できなくなってしまった『アメリカン・スナイパー』で、クリント・イーストウッドが彼のキャリアで最高の作品のひとつをブラッドリーと一緒に作ってくれました。あなたはクリント・イーストウッド、ギレルモ・デル・トロ、デヴィッド・O・ラッセルなど、すばらしい監督たちと仕事をしてきましたが、俳優として自分の仕事を区別し、同時に監督たちの技術を観察することは可能なのでしょうか」
名だたる監督たちから多くのことを学んできたクーパー
クーパー「恐らく僕は、本当に面倒くさい人間なんですよ。僕はデヴィッド・O・ラッセルの映画学校に通っていたようなものです。彼らに聞いてみないとわからないけど、僕のことを見抜いていたような気がする。というのは、僕はどの映画でも監督が編集しているスタジオに何か月も出入りしていて、俳優仲間に『どうしてそんなことができるんだ?』と言われていたから。彼らが作りたい映画を作る手助けがしたかっただけなんです。僕もあなたもクリントのことをよく知っていますよね?彼は、『そんなヤツは前代未聞だ』と思っていたけれど、早い段階で『この男は俺と一緒で、目指している方向が同じなんだ』と気づいてくれたようです。フィルムメイカーとして、同じ目標を持った監督には『あなたの考えをすべて教えてください』とお願いしてきました。彼らがクリエイティブ面で僕に門戸を開いてくれたおかげで、これらの映画監督たちから多くのことを学ぶことができたと思います。まず第一に、僕は撮影現場が大好きで、セットを離れることがありませんでした。J・J・エイブラムスと『エイリアス』をやった時も、ずっとセットから離れなかったので(笑)」
スピルバーグ「この映画での旅路は、並外れたものだったことでしょう。私はとてもうれしいんです。君をこの映画の監督として雇った自分はよくやったと思うし、この映画の監督に就任し、今夜私たちにこんな体験を与えてくれた君を誇りに思います。ブラッドリー、どうもありがとう」
文/平井伊都子