エマ・ストーンや気鋭のクリエイターが集結して作り上げた「THE CURSE/ザ・カース」は“斬新”な現代の風刺劇
「人生はフェイクなのか?」哲学的命題を突きつけるネイサン・フィールダー
視聴者を戸惑わせることにかけては、実はネイサン・フィールダーは天才中の天才だ。前述した「リハーサル~」は、一見すると素人参加のリアリティショーで、人生の重要な局面で失敗しないために「事前にリハーサルをしませんか?」と申し出る。例えば「友だちに大学院卒だとウソをついてしまったので、真実を告白したい」という人物のために、友だちと会う予定のバーと寸分たがわぬセットを建て、友だち役を演じる役者を連れてきて、どのテーブルに座って、飲み物は何を注文して、どんな流れで会話をほぐせばいいのかを、何百回も入念にリハーサルするのである。
見ているぶんにはバカバカしくて楽しいが、リハーサルの細部にこだわりまくるネイサンの偏執的な不安症こそが、番組の最大の見世物であることがわかってくる。ネイサンのリハーサルはどんどんエスカレートして、やがてネイサン自身も実験の中心人物となり、一軒家でフェイクの家族と暮らし始める。もうこうなってくると、リアリティショーなのか、リアリティショーのフリをしたフィクションなのかが判別できなくなってくる。
いや、そもそもTVに映っているものにリアルなんて存在するのか?そもそもわれわれの人生自体、既存のものを追体験するだけのフェイクな行為ではないのか?いつのまにかそんな哲学的命題がアタマをぐるぐるし始める。ネイサン・フィールダーとは、かくも油断のならないクリエイターなのだ。
SNS時代に生きる現代人をネタにした風刺劇と思いきや…
「THE CURSE/ザ・カース」がリアリティショーの舞台裏を描いていることも、ネイサンのこれまでのキャリアと無縁ではあるまい。「リハーサル~」がどこまでが偶発的な番組だったのかは知るよしもないが、「THE CURSE/ザ・カース」の劇中のリアリティショーは、仕込み、ヤラセ、サクラに侵食されてリアルからかけ離れていくばかり。そこにはメディアの送り手と受け手双方に向けた強烈な皮肉があり、「リハーサル~」を見ていた人間が、同番組の真偽をさらに疑ってしまうようにもできている。
ちなみにエマ・ストーンのキャリアも、リアリティショーから始まった。まだエミリー・ストーンと名乗っていた10代半ば、70年代に人気を博したシットコム「パートリッジ・ファミリー」のリメイクの出演者を選ぶオーディション番組に出演していたのだ(ストーンは勝ち残ったが、リメイク企画はパイロット版しか制作されなかった)。エマは「THE CURSE/ザ・カース」で描かれる演出過剰なリアリティショー描写について、実際のリアリティショーもほとんど同じようなものだったと発言している。
とはいえ「THE CURSE/ザ・カース」は単にメディア批判をするための作品ではない。ホイットニーもアッシャーもダギーも少しずつ自分を欺いていて、われわれを取り巻く人間関係がいかに薄氷の上に成り立っているのかを暴き立てる、空恐ろしいヒューマンドラマであり、またSNS時代の自己実現の落とし穴や、コンプライアンスに振り回される現代人をネタにした意地悪な風刺でもある…。
なんてことを考えていたのだが、最終エピソードではあまりにも斜め上の衝撃展開が待ち受けていて、「正直、理解しようとしていた自分がバカでしたごめんなさい」という気持ちになった。半ば途方に暮れ、半ば「もはやアッパレ!」という晴れ晴れとした気分で。この宙ぶらりんな中毒性をぜひ共有したいので、呪いの毒気に当てられても構わないという方はぜひ「THE CURSE/ザ・カース」をご覧いただきたい。
文/村山 章