ゴダールが遺した、20分間の奇妙な映画体験。わずか数秒の“動いている画面”と存在しないラストショット
2022年9月13日に旅立っていったジャン=リュック・ゴダール。彼がその直前まで手を加え続けていた、おそらく最後の作品であろう『ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争』が日本公開を迎えた。興行館でわずか20分の――それもかくも実験的な映画が公開されること自体が稀有ではあるが、その全貌はいかにも、映画作家ゴダールの頭の中にあるイメージの海に飛び込むような奇妙な体験であった。
さらに想像力と実験性が極まった、ゴダールの晩年
いまあらためて、映画史そのものたるゴダールの功績を詳細にたどる必要もないだろう。『勝手にしやがれ』(59)を皮切りに『はなればなれに』(64)や『気狂いピエロ』(65)などの傑作を生むと、『ウイークエンド』(67)の発表後に商業映画との訣別を宣言。翌年の“カンヌ粉砕”やジガ・ヴェルトフ集団結成と、政治的な映画制作に勤しんだあと、『勝手に逃げろ/人生』(79)で商業映画に復帰する。
それからも短編、長編問わずコンスタントに作品を発表し続けるが、いわゆる“ポスト・ヌーヴェルヴァーグ”の作家とも異なる独自の路線を独自のペースで走っていく。晩年になるとその想像力の豊かさと実験性の強さはさらに極まり、『さらば、愛の言葉よ』(14)では齢83にして3D映画に挑戦。長編の遺作となった『イメージの本』(18)ではカンヌ国際映画祭で、“パルムドールを超越する”スペシャル・パルムドールを授与されるに至る。それはちょうど“粉砕”から50年を迎えた年のことであった。
偉大な映画作家との永遠の別れというのは当然のように悲しいものではあるが、あれから1年半近くが経とうとした現在においても不思議なほどにその実感はない。一人の観客としては結局のところ、彼の作った作品をスクリーンを通して観るだけの間柄にすぎず、ましてやその多くが“映画史”として語られる比較的遠い位置にいる作品であり、リアルタイムで何度か新作の日本公開を体験することができたといっても、決して頻繁にあったわけでもない。そこにきてこうして新たな作品が公開されたとなれば尚更である。
女性が街を走り抜ける、わずか数秒の“動いている画面”
『ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争』は、先に述べた通りわずか20分の短編映画だ。といっても20分で起承転結が組まれるストーリー性があるわけでもなければ、“動いている”画面が見られる時間はわずか1分にも満たない。およそ40枚ほどの写真とそこに記された文章やちょっとした単語のメモ書きのコラージュが、音楽やごくわずかなナレーションに乗せて映しだされていくだけという構成になっている。
驚異的にシンプルであり、そこに映る文字を読み、読み解いていく作業が必要とされる。そういった点では、充分な時間とストーリーを持ちながらも多くを説明しがちな現代の映画の作られ方とは逆行する。それでも、ゴダールが晩年まで映画でなにをしようとしていたのか、彼はいかにしてクリエイションと闘いつづけてきたのかをスクリーン越しに追体験することができる点では、映画が単に“観る”ものではなく“体験する”ものとなった現代の潮流にも符合する。視覚の先に、存在しない『奇妙な戦争』なる映画への想像力を働かさせずにはいられない。
なにより興味深いのは、やはり一瞬だけ訪れる“動いている画面”。2004年に製作された『アワーミュージック』の引用フッテージでは、女性が街を走り抜ける。これを再構築せんとここに呼び起こしただけで、少なくともゴダールにかつてのような若々しい感性が残っていたのだと予感できる。ところがその直後に聞こえてくる録音には、しわがれた声。作品に対するはっきりとしたビジョンがあることが語られる一方で、否が応でもその老いを感じることとなる。まさにそれは、タイトルにもある“遺言”そのものであり、耳に残って離れない。
そして、常々優れた映画作家の撮る最期のショットというのは忘れ難いものになるわけだが、この『奇妙な戦争』においては明確なラストショットと呼べるものが存在しない。イメージのなかで浮遊したまま、ぱたりと途絶え、映画館の場内がにわかに明るくなる。未完のままで幕を下ろすその様は、ゴダールという映画に真の終わりが来ることはないのだと示しているかのようだ。
文/久保田 和馬
※記事初出時、本文中の情報に誤りがありました。訂正してお詫びいたします。