『四月になれば彼女は』川村元気×山田智和監督にインタビュー。「一つの目標に向かってみんなで闘える“映画”は幸せな現場」
川村元気のベストセラー小説「四月になれば彼女は」が映画化された。メガホンをとったのは、宇多田ヒカル、米津玄師、あいみょん、KID FRESINOら錚々たるミュージシャンのMVで創意工夫あふれる大胆な映像世界をクリエイトしてきた山田智和。川村は、2019年のティファニー×ゼクシィのショートフィルム「TIFFANY BLUE」(仲野太賀、森七菜主演)で初めて山田監督と顔を合わせた。その時は川村が企画・脚本、山田が映像監督だったが、以来川村はいつか山田と再タッグを組みたかったという。その想いが、山田監督の初長編映画という理想的な形で結実した。
結婚を間近に控えた同棲相手の弥生(長澤まさみ)が突然、失踪した。途方に暮れる精神科医の藤代(佐藤健)は、学生時代の恋人である春(森七菜)との別れを振り返り、弥生の行方を追う――。川村の小説は「世界から猫が消えたなら」「億男」「百花」が映画化されているが、本作「四月になれば彼女は」について川村自身は小説発表当時(2016年)から、実写化困難だと述べていた。
「元気さんから『得意技を捨てないでほしい』と言われたのは本当に大きかった」(山田)
――「四月になれば彼女は」が、これなら映画にできると思われた点はなんだったのでしょうか?
川村「山田智和と映画を作ってみたかったということが、きっかけとなりました。MV出身の監督がスタイリッシュなアート映画を撮る…ということに僕はおもしろさを感じない。堂々としたメジャー映画を撮ってほしいと考えていました。『TIFFANY BLUE』のころは20代だった(山田)智和くんが、気がつけば悩める30代の大人になっていた。これは甘いだけではない恋愛の物語なので、いまなら自分ごととして取り組んでもらえるのではないかと思い、原作を渡しました。小説をどう構成していくか、どう映像化していくかというテクニック的なことはなんとかなると思っていて。それよりも根っこのエモーション、自分ごととして取り組んでもらえるかが大事でした。その部分に反応してくれたので、これは映画にできると思いました」
山田「おもしろそう。最初に読んだ時、この感覚がありました。まずハードルとして考えられるのは海外でのロケーションですが、これまでの恋愛映画のフォーマットでは済まない恋愛模様の難解さも含めて、これは見たことのないものになるなと。でもなぜかイメージできる。これはやったら絶対おもしろいと、ワクワクしながら最初の会議に行ったことをよく憶えています」
――MVには、楽曲とアーティストという「お題」があります。規模は違うとはいえ、原作小説という「お題」に対してリアクションするという意味では、今回の作品にも近い部分はあったのではないでしょうか。
山田「元気さんから『得意技を捨てないでほしい』と言われたのは本当に大きかったです。もちろん、いままで自分がやってきたことだけでは足りないことのほうが多いわけですが、自分がやってきたことの延長で臨めました。スタッフも同世代で。映画の2時間とMVの5分では使う脳がまったく違いますが、別なものに挑むという感覚ではなかったですね。そもそもすぐそばに原作者がいてくれて、いつでも相談に乗ってくれる。これは風通しがいいですよね」
――川村さんは脚本作りにも参加され、理想的なコラボレーションとなりましたね。ところで川村さんから見た山田監督の演出は?
川村「智和くんのおもしろいところは、お芝居なのか、ドキュメンタリーなのかがちょっとわからないところ。これが一貫していると思う。MVの時も、それがミュージシャンによる芝居なのか、本人そのものなのか、わからないラインをねらっている。今回、海外パートでの森七菜はどんどん表情が変化して全然違う顔になっていくし、あるシーンでは、これは佐藤健なのか藤代俊なのかどっちなんだろう? と思わせられる。そんな瞬間が幾つもある」
山田「フィクションを作っているわけですが“本当の気持ち”というものが撮りたいんですよ。人が演じて、コミュニケートしていく過程で生まれる本当の気持ちってなんだろう?この意識は今回もあって、それを許容してくれたキャストとスタッフのおかげでトライできましたね。とにかくリアルなものを撮りたいと常に思っています。劇的な景色であれ、薄暗いキッチンであれ、そこにどのような“本物の感情”があるのかが大事。お芝居している、と思われたらキャストのみなさんがもったいないし、いい画を撮ろうとしている、と思われたらカメラマンも勿体ない。ストーリーに没入してもらう大前提の中にある、自分なりの軸かもしれません」