歴史的な名盤はいかにして生まれたのか?『ボブ・マーリー:ONE LOVE』の中軸「エクソダス」の偉業に迫る
ついに日本でも公開された『ボブ・マーリー:ONE LOVE』は、そのタイトル通り、レゲエを世界に広めた伝説的ミュージシャン、ボブ・マーリーを描いた作品だが、いわゆる「伝記映画」としては珍しい作りとなっている。というのも、彼の生涯のうち、1976年から78年の約2年間にのみフォーカスを当てているのだ。
「メイキング・オブ・エクソダス」とでも呼ぶべき『ボブ・マーリー:ONE LOVE』
しかしこの2年間こそ、マーリーにとっては人生最大の波乱の季節だった。1976年、世界ツアーから帰国したマーリーは凱旋公演としてフリーコンサート「スマイル・ジャマイカ」への出演を決める。ところが、これが選挙期間の最中に開催された文化省後援のイベントだったため、当時の人民国家党(PNP)政権を応援する行為とみなされてしまう。
結果、対立するジャマイカ労働党(JLP)支援者たちがマーリーらを銃撃。銃弾を受けたマーリーと妻のリタは傷を負い、あやうく殺されるところだった。2日後、マーリーは「スマイル・ジャマイカ」に出演すると、ジャマイカから出国する。行き先はイギリスの首都ロンドン。この地で彼は「エクソダス」と題したアルバムの製作を開始する。その後、映画はまるで「メイキング・オブ・エクソダス」とでも呼ぶべきシーンが続いていくのだが、そんなふうに描かれるのも、同作こそがソロ・アーティストとしてのマーリーの代表作だからである。
バンドとしてのグルーヴが最高潮に達した「エクソダス」
アイランド・レコードからの世界デビュー盤「キャッチ・ア・ファイアー」とセカンド作「バーニン」を一緒に作ったピーター・トッシュとバニー・ウェイラーがソロ・キャリアを追求するためにザ・ウェイラーズから脱退すると、マーリーはバンド名をボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズに改名し、新メンバーを招いて活動を開始。ジュディ・モワット、マーシア・グリフィス、マーリーの妻リタからなるアイ・スリーズをバッキング・ボーカルに据え、ドラムとベースにカールトンとアストン“ファミリー・マン”のバレット兄弟、キーボードのティロン・ダウニー、そしてパーカッションのアルビン“シーコ”パターソンとの鉄壁のバンド・サウンドをツアーのなかで熟成させていった。そんな彼らが合宿状態でレコーディングに臨んだことで、バンドとしてのグルーヴが最高潮に達したのが「エクソダス」だった。
同作に大きく貢献したのが、ギタリストとして参加したジュニア・マーヴィンである。ジャマイカ生まれ、ロンドン育ちの彼はハンソンというファンク・ロックバンドを結成し、2枚のアルバムを発表していたUKブラック。強力なリード・ギタリストの参加はマーリーの世界的な成功をねらうアイランド・レコード総帥のクリス・ブラックウェルの意向と思われるが、ジャマイカ系同士で人間的なウマも合ったのか、マーヴィンはそのままウェイラーズに加入し、マーリーを支えるようになっていく。