「マッドマックス」ジョージ・ミラー監督が語る「映像のロックンロール」の極意「映画作りがビジュアルによるセッション」
「ビークルたちは、基本的に衣装やメイク、武器と同じく、キャラクターと連動している」
「マッドマックス」シリーズの代名詞と言えるのが、カーアクションだ。本作でも多彩なスーパーマシンが過激なバトルを繰り広げる。激しくもドラマチックなカーアクションを描く秘訣について、ミラー監督は「すべての車をキャラクターの延長として描くこと」だと語る。「ビークルたちは、基本的に衣装やメイク、武器と同じく、機能や目的はすべてキャラクターと連動しています。例えば『怒りのデス・ロード』の冒頭でインターセプターが壊されたのは、マックスが力をそがれた状態になることを示唆したのです。本作でフュリオサがウォー・タンクに潜んでいた時にけん引するトレーラーは1台だけでしたが、運転手であるジャックとコンビを組んで以降は2台に増やしました。また彼女がディメンタスと決着をつける時、イモータンの息子のクランキー・ブラックという車を盗んで追いかけます。これはアグレッシブでパワフルだけが取り柄の車で、怒りに燃えたフュリオサの心を表しているのです」と解説。ディメンタスのバイクも同様だ。「ディメンタスの乗るバイクが大きなチャリオットに変化したのは、皇帝のような絶対的存在への憧れを示しています。ですから仲間を率いてガス.タウンという拠点を手に入れたあと、彼は運転をせずモンスタートラックの荷台に乗っているのです」。
15年にわたって繰り広げられる本作も、アクション満載のハイテンションな映画に仕上げたミラー監督。「マッドマックス」シリーズを「映像のロックンロール」と呼ぶ監督が常に心掛けているのは、必要とされる要素を見極めることだという。「映画全体はもちろんですが、シーンによっても求められる要素は違います。例えばフレーミングやカメラワークといった撮り方や音楽・効果音の使い方、役者たちの演技もそう。それを見極めたうえで、キャラクターありきのドラマを作っていくことが大切です」というミラー監督は、映画作りを音楽のセッションに例える。「いろんな楽器を持ち寄って行う演奏と同じで、様々な映画作りのツールを動員するのです。私は映画作りがビジュアルによるセッションだと思っています。すべての作業がドラマの構造やキャラクターの行動に基づいて設計され、それに沿って一つ一つのカットを積み上げていく。同じシーンのなかでも必要に応じて1秒に満たないカットがあれば2分半とわりと長めのカットが混在しているのです。カットごとになにがいちばん正しいのか、その映画に見合うのはなにかを考える。そうやって私は映画を作り続けているのです」。
インタビュー中は笑顔を絶やさず、穏やかな口調で質問に答えてくれたミラー監督。しかし話題が盛り上がりはじめると、ノンストップで話し続ける熱い姿に「マッドマックス」の淵源が見て取れた。79歳を迎えたミラー監督だが、エネルギーあふれる若々しさは『マッドマックス:フュリオサ』にそのまま体現さている。マックスではなくフュリオサを主人公にするという新機軸を打ち出した本作を観て、今後のサーガへの期待がさらに高まった。
取材・文/神武団四郎