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『スリープ』「マイ・ディア・ミスター」…不世出の名優イ・ソンギュンが私たちに遺したもの

コラム

『スリープ』「マイ・ディア・ミスター」…不世出の名優イ・ソンギュンが私たちに遺したもの

『最後まで行く』『キングメーカー 大統領を作った男』『パラサイト 半地下の家族』…イ・ソンギュンが演じてきた複雑な“ヒール”

イ・ソンギュンは印象的な悪役も演じてきた。たとえば『最後まで行く』(14)で、野心と欲望にまみれた刑事ゴンスを演じた。自身のひき逃げ事故を隠蔽しようとしたために、事件の黒幕から狙われるゴンスがすがすがしいほどの汚職刑事で、愚かさゆえに追い詰められるさまがブラックコメディとして効いていた。

ギリギリのストーリー展開も話題となり、日本でリメイクされた『最後まで行く』
ギリギリのストーリー展開も話題となり、日本でリメイクされた『最後まで行く』[c]Everett Collection/AFLO

またヒールとは言えないまでも、『キングメーカー 大統領を作った男』(21)も思い出される。イ・ソンギュンが演じたのは、大統領の影の選挙参謀、ソ・チャンデだった。正攻法では選挙で勝てないキム・ウンボム(ソル・ギョング)を大統領候補に押し上げるために手を汚すチャンデに待ち受ける結末は皮肉ながら痛ましく、考えさせられるものがあった。ソル・ギョングによれば、イ・ソンギュンは物語を牽引する人物としてビョン・ソンヒョン監督と本当によく話し合っていたという。本作で大鐘賞の監督賞を授賞したビョン・ソンヒョン監督が、「私の心の主演男優賞はイ・ソンギュンさんです」と力を込めて語っていたのもそうした理由からだろう。

大統領のフィクサーの成功と悲哀が表現されたソ・チャンデ
大統領のフィクサーの成功と悲哀が表現されたソ・チャンデ[c]2021 MegaboxJoongAng PLUS M & SEE AT FILM CO.,LTD. ALL RIGHTS RESERVED.

これらのキャラクターは、“ヒール”は、“悪”と断じてしまうことに少々引け目を感じる。それはどこか私たち観客の持つ後ろ暗い感情に通じているからではないだろうか。最も分かりやすい例は、『パラサイト 半地下の家族』(19)のパク・ドンイク社長だ。

 裕福さゆえの無意識な冷淡さがにじみ出るパク社長
裕福さゆえの無意識な冷淡さがにじみ出るパク社長[c]Everett Collection/AFLO

貧しい半地下住まいのキム・ギテク(ソン・ガンホ)らキム一家が入り込むことになる大豪邸に暮らすIT企業のパク社長は、一見、上品で礼儀正しい。「線を越えるな」が口癖で、僭越な振る舞いを何より嫌うため自分もまた他人の欠点を直接論ったりはしない。それは彼が優しいからというよりも、他人を蔑むのは下品だと言われるから、表立ってしないだけだ。それでも半地下の臭いには耐えられなかった。彼らを見下す本性が露呈した瞬間、ギテクに刺し殺される。

人間には、誰かと比較して生きる性がある。自分よりも年収が低い人、家が裕福でない人に対し、わずかながら優越感を感じる瞬間はあるのではないだろうか。ドンイクは、そういう私たちの一部を取り出して目の前に見せつけてくる、不都合で居心地の悪いキャラクターとして完璧だった。

去年、『脱出:PROJECT SILENCE』で第76回カンヌ国際映画祭に参加したイ・ソンギュン
去年、『脱出:PROJECT SILENCE』で第76回カンヌ国際映画祭に参加したイ・ソンギュン[c]SPLASH/AFLO

スリープ』のプロモーション当時、折しもDisney+「ムービング」が賞レースを席巻していた。イ・ソンギュンはこのヒーロードラマに興味津々で、「私もヒーロージャンルをやりたいって言っていたんです。たいしたことなさそうなヒーローキャラクターを演じてみたいです」と笑っていたそうだ。イ・ソンギュン演じる、実に人間臭いヒーローが活躍するドラマ。決して実現しない悲しい夢を、どうしても思い描いてしまう。

人は忘れ去られたときが本当の死だという。彼が演じ、特に代表的と見えるキャラクターは、時代の声を代弁し、傷みと共振する人物として観客の心に刻まれた。イ・ソンギュンがスクリーンにいてくれた時間は、永遠に朽ちない。

文/荒井 南


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