【ネタバレレビュー】現代に描かれた「七夕の国」が突きつけたメッセージ「いまだからこそ染み入る、最終話のナン丸の言葉」
「藤野さんの演技がすごくよくて、あのシーンは何回観ても泣いてしまいます」(別所)
イソガイ「キーパソンの幸子はどうでした?」
別所「実は先ほど言った号泣したシーンというのが、幸子が竹林で、兄の高志の遺体に対面するところなんです。幸子を演じた藤野さんの演技がすごくいいから、何回観ても泣いてしまいます。あの慟哭には心をエグられますね」
神武「原作より、宿命を背負っている感じが強くてよかったですね」
別所「幸子は自分の宿命に対して“諦めている”感じがしましたね。その雰囲気をずっとまとい続けている藤野さんはスゴいと思いました」
イソガイ「藤野さんは最初、もう少し原作に寄せて、コミカルな感じも出そうとしたみたいなんですけど、そうするとラストにうまくつながらないので、瀧悠輔監督が感情を抑える演出を徹底させたみたいです」
神武「あっ、なるほど。そういうことだったんですね。それで言うと、ドラマも全体的にコミカルな味は抑えられていて、それがプラスに働いていたような気がします」
別所「原作ではちょっと楽観的すぎるな、みたいなところもあったけれど、ドラマではそこに現実味があって。アドリブかどうかわからないですが、丸神ゼミ生の多賀谷と桜木を演じた濱田龍臣さん、西畑澪花さんや、亜紀役の鳴海唯さんなど、学生役の人たちのわちゃわちゃした空気感も、すごくナチュラルでした」
イソガイ「丸神ゼミの講師、江見役の木竜麻生さんが現場のムードメーカーで、それでみんなの距離が縮まったみたいです」
神武「江見先生もよかったですね。一途な想いも原作より強く出ていて、いじらしい感じがしました」
「球体は、私たちが振り回されがちなSNSや膨大な情報のメタファーのような気がする」(イソガイ)
イソガイ「新技能開拓研究会と丸神ゼミのシーンでナン丸のキャラクターがわかったし、ドラマの世界に入りやすくなりましたね。ナン丸の印象的なシーンでいうと、やはり最終回で幸子が頼之と共に窓の外へ行こうとした時、『わからないけれど、気に入らないから邪魔をしている』みたいなことを口走っていたところでしょうか」
別所「必死に2人を説得しながら、『なに言ってるんだ、俺は?』みたいな、自分の言葉に突っ込んでしまうような、主人公らしからぬセリフにも逆に親しみが持てました」
イソガイ「いやあ、あの時のナン丸はめちゃくちゃだけど、幸子をなにがなんでも止めたいと思っている気持ちは純粋で嘘がないし、そのために発する言葉の数々は極端だけど心から思っていることだから強いですよね」
別所「ドラマは現代の人たちにも通じるようにうまく作り変えられているという話を最初にしましたけど、原作の根底に流れるテーマや本作が訴えかけるメッセージは“いま”だからこそ、より染み入るような気がします。それこそ、『世界中のことをネットやテレビでわかった気になっているけど、世界は目で見えてる大きさの百倍も千倍も広いんだぜ!それに比べりゃ、派手な超能力も小せえよ!』っていう、あのナン丸のセリフもほとんど90年代に描かれた原作どおりなんですよね。でも、あの言葉のほうが、SNSの情報に振り回されているいまの人たちには逆に響くかもしれない。情報過多な現代は、自分が選び取った情報だけに意識が向いていたり、ネットの中が世界のすべてと捉えて可能性を潰してしまっている人も多いような気がしますからね」
イソガイ「ナン丸や頼之が特殊な能力で出現させる球体は、私たちが囚われたり、振り回されがちなSNSや膨大な情報のメタファーのような気がする。それを90年代に描いた岩明先生はスゴいですよ。『この(物を破壊する特殊な)能力はあくまで道具であって、目的そのものじゃない』とナン丸に言わせていて、ドラマでも細田さんが強く訴えるけど、ナン丸の能力はSNSやどんどん進化して便利になるテクノロジーと置き換えることができますよね。『そんなものに人間さまが振り回されてちゃいかんのです』と彼に言われて、ちょっとドキっとしました」
神武「本作のベースになっているのは、伝統を守ろうとする人たちとそれを壊そうとする人たちの話ですが、どちらも内向きで周囲の声に耳を貸さない。ナン丸のように、フラットな立場で、偏ることなく情報に接するスタンスも必要かもしれないですね。ナン丸が、念じるだけで物を破壊できる強大な能力を封印し、対面で人と人をつなぐフィジカルな仕事を立ち上げるドラマ版の結末も、いまの時代ならではだと思いました」