公開から24年。韓国映画の歴史を変えた『シュリ』のカン・ジェギュ監督が振り返る撮影秘話
「オールド・ボーイは映画作家たちに刺激を与えた」
映画や音楽、ドラマなどK-コンテンツの世界的流行は、文化と共に朝鮮半島の政治や歴史を知る機会も格段に増えるなど、『シュリ』が製作されてからの25年で韓国映画を取り巻く環境は大きく変わった。
「私の考えでこう言っていいか分かりませんが、『シュリ』が韓国映画の新たな起爆剤になれて、その後質・量共に非常に大きく成長を遂げることができたことについては、私も韓国映画界に感謝し、やりがいを感じています。でも最近になって思うのは、韓国映画は誕生から今に至るまで、様々な危機とある種の成功がずっと繰り返されているのではないでしょうか。近年はパンデミックに遭い、新しい上映プラットフォームの登場によりやや危機を迎えているんですが、日本や他の周辺国、特にハリウッドと比較しても、私たちの国では(コロナ禍やOTTによる映画産業の危機からの)回復率が世界で一番低いんですよね。果たして今後以前のような状況に戻ることができるのか?そのためにはどのような努力が必要なのか?私たち映画界だけで考えて克服できる問題ではないのかなと思います」。
現実の朝鮮半島情勢は、いまも穏やかではない。2018年には韓国の文在寅大統領と、北朝鮮の最高指導者である金正恩による歴史的会談が行われたが、現政権は一転、強硬姿勢を貫いている。そんななかで『シュリ』は、改めて省みられるべき一本だ。ではカン・ジェギュ監督から見て、“韓国映画のターニングポイント”は何なのだろう。「本当に多くの作品があるので難しいんですが…」と前置きしつつ、『オールド・ボーイ(2004)』(03)と『パラサイト 半地下の家族』(19)を挙げた。
「韓国映画のジャンルや表現の多様性という側面から見ると、『オールド・ボーイ』は私たち映画作家に少し刺激を与えたのではないでしょうか。そして『パラサイト 半地下の家族』は外せないでしょう。 私たち含め世界中の映画人がなぜハリウッドに憧れるのかといえば、結局、ハリウッドで全世界の人々が皆で一緒に作った映画を見て、一緒に感じることに対する憧れと嫉妬なんですよね。自分の作品が世界に紹介される機会を、映画監督というものはほぼ全員切望しているのですが、これまでは空振りが本当に多かったです。韓国映画は英語では撮れないですし、文化的にも歴史的にも果たして全世界に通じる問題を撮れるのか、限界や難点がすごく多かった。しかし『パラサイト 半地下の家族』が、韓国映画は言葉や文化、歴史が違っても世界中が共有できるし、おもしろさや楽しさを分かち合えると証明してくれたのではと思います」。
「キャラクターを理解し、共感することによって観客と十分に気持ちが通じ合うことができる」
韓国映画をめぐる環境は変化する一方で、“映画を観る喜びと感動”の原点は時代を経ても普遍的だ。カン・ジェギュ監督のフィルモグラフィーを振り返ると、 スパイアクションである『シュリ』をはじめ、戦争ドラマ『ブラザーフッド』(04)、スポーツヒューマンドラマ『ボストン1947』(23)など実に多様だ。共通するのは、作品の登場人物の深い心理描写で、それが観客の共感を得る秘訣なのだろう。カン・ジェギュ監督が創作で最も大事にしてきたものを聞いた。
「シナリオを書くときも監督として演出するときも同じですが、もしある登場人物が私自身だと仮定したとき、それが完全に共感や理解ができないキャラクターだと耐えられないんですよね。私がキャラクターを理解し、共感することによって観客と十分に気持ちが通じ合うことができるだろうという確信があるんです」。
まさに長い経験で培った映画術だが、作り手としてはジレンマも抱えているという。
「すべての登場人物を私が理解し味方となる一方で、受け入れがたい登場人物をケアしなければならない場合もあるのです。 そのような部分ではある意味では少し矛盾が生じますよね。『キャラクターの多様性を守れなかったな』とちょっと自責の念に駆られることもあります。私が徹底的に共感して理解するキャラクターが作品の中でポジティブに作用したときは、それだけ没入度や理解度が高いのですが、観客の立場から見れば長所と短所があるのかもしれません。あるときは役に立つこともあれば、どうしたらいいのか?と考えてしまうこともあります」。
こうして悩みながらも進む姿勢こそが、ベテランでありながらも長く映画を撮り続けられる原動力なのかもしれない。
取材・文/荒井 南