「フサフサの毛に覆われた秋田犬らしい八房になっていて、かわいくてよかった」
そうした“実”の部分と対になる“虚”のパートであり、馬琴の頭の中で描かれた物語を映像としてみせる「南総里見八犬伝」の映像描写に関しても、石黒は高く評価している。
「“虚”のパートの役者さんの演技は、物語の登場人物としてキャラを演じている感じがよかったです。リアルに存在する人ではない演じ方が、“実”のパートとの違いになっているんですよね。物語前半に登場する、伏姫に忠実な犬の八房は秋田犬なんですよね。児童書の挿絵なんかだとそのあたりがあまり再現されていなかった記憶があって、自分がイラストを描いた時は秋田犬っぽくなることを意識していたんです。今回の映画では、ちゃんとしっかりごっつい、フサフサの毛に覆われた秋田犬らしい八房になっていて。かわいくてよかったですね。『南総里見八犬伝』って、読めばおもしろいお話で、それこそ魔法のような妖術なんかも出てきますし、いろんなマンガの原石のような要素も持っているんですが、原作が長いということもあって、いざ原作のどのパートを取り上げているのか。現代のお客さんにおもしろいと思ってもらえるエンタメ映画という形でちゃんと映像化するとなると難しい作品の一つなのかなと思うんです。でも今回は、馬琴の人生という“実”のパートがメインなので、“虚”のパートはテンポよく、原作のおもしろいところ、観客が観たいと思っている名シーンを現在の技術でちゃんと映像化してくれていて。この作り方だと『南総里見八犬伝』の大筋はわかるし、でも飽きることなく、人間ドラマと合わせて楽しむことができる構成も含めてすばらしいと思いました」。
「“虚”と“実”の両方がそろってこその『八犬伝』。八犬士だけじゃなくて、馬琴も北斎も入れるようにしようと思った」
そうした“虚”と“実”を織り交ぜた物語をベースに、石黒に『八犬伝』とのコラボイラストを描いてもらった。登場人物たちを“犬”という形で獣化し、“虚”と“実”の登場人物たちが勢ぞろいした構図となるイラストを手掛けてみた印象はどのようなものだったのだろうか?
「私は、もともと人間を描くよりも妖怪とか想像の動物を描くのが大好きで。そればかり描いてきたので人間を魅力的に描くというチャンスがなかったんです。人は常に脇役で、脅かされていたり、食べられていたり、時には一緒に戦ったりするけど、どちらかと言えば動物が主人公になっています。だから、いざ人間を魅力的に描こうと思った時は、獣化させたほうが魅力的に描けるというところがあって。そういう意味では、今回出演されている役者さんを獣化するのは楽しかったですね。役所広司さんは犬顔で、立派な大型犬という感じですし(笑)。構図の案を考えた時は、いくつかパターンを考えたんですが、やはり“虚”と“実”の両方がそろってこその作品だと思うので、八犬士だけじゃなくて、馬琴も北斎も入れるようにしようと思いました。八犬士たちもキャラがちゃんと立っているし、コスチュームも華やかなので『描いてください!』と言わんばかりで、どうやって描こうって悩んだりもしなかったです。こういうコラボレーションものは、作品がいいとモチベーションも高くなるんですが、そういう意味では、映画がとてもおもしろかったということも含めて、今回はすごく楽しく描かせていただきました」。
「なにか目指している人が観ると、本当に胸に迫るものがある」
自身が絵描きであり、絵本作家である石黒は作品を見終えて、本作を「ものづくりを目指している、若い人たちに観てもらいたい」と感じたそうだ。
「本当に“虚”と“実”が絶妙な形で描かれていて、そのおかげで作り手の苦労という部分がすごくわかる作品になっていると思うんです。だから、なにか目指している人が観ると、本当に胸に迫るものがあるなと。だから大人はもちろん、もっと若い中学生や高校生くらいに観てほしいですね。偉人が頑張る姿を見せてもらって、この物語を生涯かけて書いたのかと思うと伝わるものがたくさんあると思うし、そんな姿を見ればいろいろ悩んでいても、『自分はまだまだ頑張れそうだ』という気持ちを持つことができるんじゃないかと。特に後半の、馬琴と息子の嫁であるお路とのやり取りは、なかなか衝撃的で。そこまでして物語を書いたのか!と感動するはずです。骨太な伝記映画ではあるんですが、そこだけを描くのではなく、“虚”のパートのエンタメ感がトーンの調整をしてくれてすごく観やすい形になっている。そういう意味でも学びが多い映画なので、ぜひ多くの方に観てほしいと思います」。
取材・文/石井誠