大正の息吹を残しながら、令和へと文化をつなぐ福島県の映画館「本宮映画劇場」110周年の歩みと未来
全国に映画館は様々あれど、そのなかにはいくつか“そこにしかない”モノやコトを持つ劇場が存在する。今年開館110周年だった、福島県本宮市にある「本宮映画劇場」は、1960年ごろまでは主流であった「カーボン式映写機」が現役で稼働する、全国で唯一の劇場だ。
カーボン式映写機とは、棒状のカーボンを燃焼させることで映像を映しだす映写機。長いカーボンがプラス、短いカーボンがマイナスであり、それらの先端を8mmの間隔に保ちながら電流を通すことで、カーボンが燃焼し発光するという仕組みだ。1本のカーボンの燃焼時間がおよそ30分、当時はフィルムも7~8巻を順に替えながら上映を行っていたので、つまり上映している間は、フィルムとカーボンを常に交換し続ける必要があったという。
そんなカーボン式映写機も、使用機材の変化やデジタルへの遷移の末に衰退。現在では肝心のカーボンを製造する会社もなくなり、残っているのは、本宮映画劇場をはじめ全国で保管されているもののみとなっている。
本宮映画劇場は、大正13年(1924年)に「本宮座」の名前で開業後、芝居小屋から始まり、その後映画館として昭和38年(1963年)まで営業。閉館した現在は、館内の見学や不定期での上映が行われている。今回、街の秋祭りにあわせ上映会が行われたタイミングで、本宮市出身の編集部員が取材(当地出身ながら、実際に足を踏み入れるのは初)。カーボン式映写機はもちろん、営業当時のお話や現在の状況、今後の展望などを、2代目館主の田村修司氏と、3代目館主の田村優子氏に伺ってきた。
そこかしこに劇場があった、映画館全盛期
かつては現在と異なり、映画は映画館でしか観られないものだった。さらにテレビが普及しきっていなかった当時は、各地域に1~2館くらい劇場があり、本宮町(現在の本宮市)には本宮映画劇場のほか「本宮中央館」という別の劇場が営業していた。劇場ごとに日活系、松竹系…と、観られる映画が会社別で完全に分かれていたそうで、客入りはそういった部分でも左右されたのだとか。
営業当時について田村氏は、「当時の娯楽って言ったらデパートか映画館だけだから、福島市だけでも10館くらい映画館があったのに、駐輪場は自転車でいっぱいだった。自転車とかバイクがいっぱい停まっていて、その自転車の数が人気かどうかを示してた(笑)」と振り返る。「劇場の中でみんながタバコを吸うので煙だらけでした。床に吸い殻を捨てるから、映画が終わると掃除が大変。当時の映画館っていうのは、環境がすごく悪かったんだよ」と、当時ならではの苦労も聞かせてくれた。
作品ラインナップなどもあり、本宮中央館のほうがやや”自転車の数”は多かったそうで、「それで町の人から言われるの。『田村のところはいつ潰れんのかな』って(笑)」と笑いながら田村氏は語る。その一方、優子氏は、「でもいまになって、うち(本宮映画劇場)でなにを観た、って言ってくれる人に出会えたりします。『中央館と間違ってませんか?』って聞くと、ちゃんと『いや、田村のほうだよ』って。うれしいですよね」と、いまでも本宮映画劇場が地域に根付いていることがうかがえるエピソードも。
館内に多くのポスターが飾られている通り、開業から閉館まで数え切れないほどの映画を上映してきた本宮映画劇場だが、そのなかでもとりわけ客入りがあったというのが、本宮町をロケ地にした、森繁久彌主演、さらに三國連太郎も出演する『警察日記』(55)で、自転車置き場があふれ返るほどだったのだとか。主演の森繁はもちろん、『七人の侍』(54)の二木てるみ、福島県伊達市出身で、『殺しの烙印』(67)や「私立探偵濱マイク」シリーズなどで知られる宍戸錠が、現在の本宮駅前に撮影のため訪れた。
「『警察日記』はあんまり宣伝しなくても、観客が満員でした。口コミだけで宣伝になって、朝10時から夜19時まで人が途切れない。近くの村からもわざわざ歩いて観に来る人もいました」。
ちなみにもう1本、特に人が入ったというのが、桑田次郎原作で、当時の新東宝が制作した『まぼろし探偵』(60)。テレビドラマ版では、吉永小百合や藤田弓子が出演した人気子ども向け作品で、本宮映画劇場が上映された際には、3階席まで人がぎっしりだったという。ほかにも、佐田啓二主演の『君の名は』(53)や、同じく佐田が高峰秀子と共に灯台守の夫婦を演じた『喜びも悲しみも幾歳月』(57)が、人気作として印象に残っていると田村氏は話す。
住所:福島県本宮市本宮中條9
アクセス:JR東北本線「本宮駅」から徒歩3分
見学料:500円