“中高年ファン”にも推せる!爆風スランプ通の音楽ライター・兵庫慎司が映画『大きな玉ねぎの下で』をレビュー
「40年後まで残る曲になって一番驚いているのは、もしかしたら爆風スランプ自身なんじゃないかな」
一方、これまでも数多くのアーティストによって歌い継がれてきた楽曲「大きな玉ねぎの下で」の普遍的な魅力についても伺うと、「大きな玉ねぎ(武道館)の下で、初めて会う約束をする。でも、会えない…という設定自体がロマンチックな感じがして、よかったんだろうと思いますね」と、楽曲の核心に迫る。というのも、兵庫いわく「爆風スランプの楽曲の中には、『愛がいそいでる』とか『涙の陸上部』のように、『大きな玉ねぎの下で』のほかにもせつないラブソングはいくつかあって。でも、武道館をモチーフにした楽曲はこの『大きな玉ねぎの下で』と、彼らが武道館ライブをそのまま歌詞にした『嗚呼!武道館』以外にはおそらくないですから。やっぱり武道館をモチーフにしたのがよかったんじゃないですかね」と、楽曲の“唯一無二性”についても言及した。
さらに印象的な「ペンフレンドの二人の恋は」という冒頭のフレーズについても、「中野さんご本人としては、実は“ちょっとダサいところ”をねらったそうなんですが、ペンフレンドという存在自体は当時高校生だった自分にとっても、わりと馴染みがありましたし、実際はそれほどダサい感じでは受け取られてはいなかったはず。みんな真っ正面から聴いていた気がします」と振り返る。「いまの時代も、SNSとかで遠くにいる人や会ったことがない人と文字を通じてコミュニケーションする文化自体は、ずっと変わらずにあるじゃないですか」。
そもそも「大きな玉ねぎの下で」は、「日本武道館の客席を満員にできるだろうか。いやできるはずがない」というプレッシャーから派生した“言い訳ソング”でもあったことが、原曲の歌詞の誕生エピソードとしてファンの間では広く知られているが、当時、日本武道館という場所が、音楽シーンにおいてどんな存在だったのか。兵庫はこう解説する。
「当時は、いまの東京ドームが後楽園球場だった時代で。横浜アリーナも、さいたまスーパーアリーナも、横浜の日産スタジアムもまだないんですよ。たまに後楽園球場や西武球場でライブをするアーティストはいましたけれども、基本的にロックバンドやポップミュージシャンのゴールは、日本武道館だったんですよね。だから、武道館を満員にできれば、それがブレイクした証になった。いまで言うところの東京ドームになるのかな。それにプラスして、武道館はビートルズの来日コンサートの会場でもあったことから神格化もされていて、いまの武道館よりもっと価値が高かったんだと思います」。
そのうえで、「こんなふうに40年後まで残る曲になって一番驚いているのは、もしかしたら『爆風スランプ』自身なんじゃないかな」と兵庫は推測する。当初は武道館公演のための“言い訳ソング”として生まれたものが、バンドの代表曲となり、40年後に映画化されるまでに至ったからだ。映画『大きな玉ねぎの下で』は、こうした楽曲の歴史と魅力を巧みに取り入れながら、現代的な解釈を加えた作品に仕上がっている。
「初期の爆風スランプのファンが観ても、この映画は間違いなく楽しめる」
改めて、映画について兵庫は、「エンタメとリアルさのバランスが絶妙」であると評し、なかでも江口洋介、飯島直子、西田尚美、原田泰造ら大人世代の俳優たちが平成初期と令和をつなぐうえで重要な役割を果たしていることも、「“中高年のファン”に響かせるためには絶対に欠かせない」と指摘する。
「世代的なことで言えば、本来、僕は平成パートのほうに懐かしさを感じてグッとくるべきなんだろうな…と思いながら観ていたのですが、あえてどちらか一つを選ぶとするなら、いろんな意味で現代パートのほうが好きでした。でも、むしろ僕らが観ても『現代パートがいい』と思えること自体、結構すごいことなんじゃないのかなって」。
とはいえ、平成初期のパートの再現度についても「まったく違和感はなかった」といい、「あの時代の空気感を再現するために持ちだすべく採用する、当時流行っていたツールはほかにもいろいろあったであろうにも関わらず、ラジオと放送部に着目して描いたところも『なるほど。目の付けところがいいな』と思いましたね。僕自身いまでもラジオは大好きですし、彼らと同様投稿していた口なので(笑)。冒頭でもお話したとおり、僕みたいに青春映画や若者の恋愛映画が苦手な人や、初期の爆風スランプのファンが観ても、この映画は間違いなく楽しめると思います!」と、兵庫は太鼓判を押す。
映画『大きな玉ねぎの下で』を通じ、“生みの親”である爆風スランプの魅力が若い世代にも再認識され、40周年を機にバンドのさらなる活動につながることにも期待したい。
取材・文/渡邊玲子
※高橋泉の「高」は「はしごだか」が正式表記